金井啓子の現代進行形

都構想報道は中立か

2020年9月17日

メディアは多様な立場に目を

 先週金曜日は9月11日だった。19年前のその日、大半の人々から「同時多発テロ」と呼ばれて記憶されている事件が米国で発生した。

 「大半の人々から〜と呼ばれて」と書いたのには理由がある。それは、私が記者として働いたロイターではこの事件のことを「同時多発テロ」とは呼ばないからである。このことは以前にも本コラムで書いたが、ロイターの記事では要人などが発した「テロリスト」という言葉をカギカッコに入れる場合を除き、「同時多発攻撃」としている。

 テロ、テロリストという言葉を使わないのだ。「テロは恐怖を意味し、テロリストは恐怖を与える人という意味を持っていて、『主観的』な言葉だから」というのがロイターが示す理由である。崩壊した世界貿易センタービルがあったニューヨークの人たちにとっては、恐怖を与えた攻撃者たちが「テロリスト」であるのと同様に、たとえばシリアの市民たちにとっては空爆によって恐怖を与える各国の軍隊が「テロリスト」でありうる、という考え方なのである。

 ロイターがこれを貫いているのは、中立であろうとする編集方針が根幹にある。どれほど残虐に思える事件にも、それに関わる人たちの立場が異なれば、見えてくる風景や浮かぶ思いは異なる。ロイターでは、ひとつの出来事に対して多角的な見方を盛り込むことを絶えず心がけてきた。そのために、ロイターは時には異端視されたり、「どっちつかず」などと揶揄(やゆ)されることもあった。だが、描写する出来事が周囲に及ぼす影響力が大きければ大きいほど、影響を受ける人たちのためにも、さまざまな角度から見た姿を伝えるのがジャーナリズムの大切な役割であると、ロイターを離れて長くたった今も私は思う。

 さて、いわゆる大阪都構想の賛否を問う住民投票が近々実施されることが決まった。これが実現したあかつきには、大阪市が廃止され四つの特別区が誕生するため、市民生活には非常に大きな影響を与えるはずだ。その影響がメリットであるとして推進する維新と公明、デメリットが多いとして反対する自民その他という構図となっている。

 だが、これほどの影響を市民生活に与える変化について、そのおひざ元にいる大阪の新聞やテレビ局は、異なる立場の考え方や、さまざまな角度から見た姿をきちんと伝えてジャーナリズムが担う役割を果たしていると言えるのだろうか。どうもそのあたりが怪しいと思えてならない。

 片方の主張ばかりをたれ流すのは言語道断だが、双方の主張を右から左に伝えたとしてもそれでは十分とは言えない。住民投票の結果が人々の生活をどう変えるのか、きちんと分析・検証して伝える。それができて初めて、メディアは存在意義があると言えるのだろう。住民投票まで1カ月半、大阪のメディアに対しては期待をこめて変化を求めたい。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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