金井啓子の現代進行形

菅政権誕生に憂う

2020年9月24日

女性の活用など夢のまた夢か

 私は「女子会」という言葉が嫌いである。でも、女性たちとのランチや飲み会に参加することは好きだ。

 私が嫌いなのは、「金井啓子という人間が女性であるから声をかけられる女子会」という考え方なのだ。女性ならばどんな人でも呼ぶのか、世の中の半分はいる女性の中からたまたま声をかけられたのか。随分ひねくれた考え方だと叱られそうだが、「女子会」だけがことさら特別扱いされるのは世の中が男社会であることの裏返しとも言える。

 それに類する言葉では、私は「〜女子」とも名付けられたくない。アウトドアの遊びが好きなのは私が女性だからではなく、私が私だからなのであるため、「アウトドア女子」(という言葉があるかどうかはさておき)とは呼ばれたくないのだ。

 そんな私なので、数年前に仕事関係のあるグループに加わるよう要請されて引き受けた後、「金井さんに声をかけたのは、女性がいないからだったんですよ」と言われた時は、複雑な心境だった。女性ばかりの女子会ではなく、男性ばかりの中にバランスをとるために入れる女子。どちらも女性だからというだけで私に声がかかるというのは、なんだか納得がいかなかった。

 ただ、男性優位の社会という長い歴史を考えた時に、「女をひとりは入れておこう」という「バランス感覚」を持つこと、それが女性が増えるきっかけとなりうることは大切だと考えると、やむを得ない避難措置なのかもしれない。だから、私としてはそうした措置に対して、「女子会」に対するほどの嫌悪感は持っておらず、違和感を持ちつつも前向きに受け入れようと、半ば義務のように捉えてもいる。

 さて、菅政権が誕生した。安倍前首相の路線をそのまま引き継ぐというのに、人柄を理由に支持率が爆上げという話には驚いた。メディアに対する不信感は報道機関が抱える大きな課題だと日ごろから思っているのだが、信頼していないはずのメディアが伝える菅首相の人柄を信じて支持するというのは、どう理解すればいいのか。

 だが、それ以上に気になったのが、新政権における女性閣僚の少なさだった。こう書くと、その肩書にふさわしい女性がいないから、という声が聞こえてきそうだ。私も、能力のない人物を女性だからという理由だけで推したりしない。だが、そもそも国会議員にせよ、女性に対する門戸が狭すぎることが問題なのだ。

 現在の世界の潮流は政治家を含めた女性の活躍である。日本政府もその流れに遅れてはいけないのに、実際は正反対の方向を向いている。菅政権には、残念、落胆といった言葉では表しきれない気持ちを抱いた。私が教えている学生の中には驚くほど優秀な人たちがいるが性差は全く感じない。当然である。だが、新政権の顔ぶれを見ていると、「女子会」という言葉が死語になるのは、まだまだ遠い先に思える。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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