金井啓子の現代進行形

介護経験通じて見えてきたこと

2021年4月1日

困った時に支え合う社会の発展を

 先週、私は誕生日を迎え、いわゆる「アラカン」になった。四捨五入すると60歳になるから「アラウンド還暦」というわけである。「もう少し運動をした方がいい」と医者から注意されてはいるものの、9年前に患ったがんの再発や転移も今のところなく、まあまあの健康体である。ただし、高齢者に向かっていることは間違いない。

 そして、この年齢になると、同世代の人が親の介護をしている率が高まってきた。

 私も、母の介護が始まって1年たった。誰かを介護するというのは私にとって初めての経験だった。それまでの私にとって、介護はどこか「人ごと」であり「絵空事」だった。だが、いろいろな点で助けが必要になっていく母を目の前にして、一気に介護の現実が迫ってきた。

 介護生活の1年間を振り返ると、さまざまな悩みに直面したが、その中でも最も悩ましいことの一つが、介護には「唯一の正解」がないということだった。母にしてあげられることにはさまざまな選択肢があり、どれを選ぶかは私や弟しか決められないのだ。「こうしなさい」「これが最善です」と誰かが決めてくれたら楽なのに、などと思うこともあった。

 一方で、予想外だったのは、介護に行き詰まって打つ手がないという状況には一度も陥らなかったことだった。介護を始めた時に何よりも恐れていたのは、何もできない、どうすればいいかわからない、誰にも助けてもらえないという状態になることだった。介護に悩んで心中するケースをニュースで見聞きしていたこともその理由の一つだ。だが、何かに困っている時、介護のプロを中心に誰かしらがいつも何らかの解決策を示したり、相談に乗ったりしてくれた。もちろん世の中には本当にどうしようもなく行き詰まっている人もいるのだろう。私はたまたま運がよかったのかもしれない。だが、この1年間の介護生活で学んだ最大の教訓は、どんなささいな悩みであっても「困っているんです。どうしたらいいでしょうか」と声を上げてみることの大切さだったと言っても過言ではない。

 また、変わっていく母を見て時に沈む気持ちを吐露する相手にも恵まれた。友人たちは解決策を示すわけではなくても、私の至らなさも含めておうように受け止めてくれている。

 冒頭にも書いたように私はアラカンになった。母の様子を見ていると、私自身の老後に思いをはせる機会も増えた。私の母には私や弟がいるが、私には子どもがいない。今は私や弟が母のために行っているさまざまな手続きを、私が歳をとった時に誰がしてくれるのだろうと考えると、ふと不安を覚える。この1年間に学んだように人に助けを求めることはしていくつもりだ。だが、それ以上に、支えてくれる家族がいなくても一人一人が無事に人生を全うできるような仕組みが、今以上に整っていくことを望まずにはいられない。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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