金井啓子の現代進行形

都立高校の男女別定員問題

2021年7月1日

 「当然」の中に潜む差別の芽

 自分で言うのもおかしいが、幼い頃から正義感が妙に強かった。おそらくその根っこにあるのは、幼稚園に入るか入らないかという年齢で最初にできた友達がごく軽い障がいを抱えていたことだろう。その子をからかったり悪口を言う子どもたちに文句を直接言ったりしながら、なんとかその子を守ろうとしていた。

 中学校では、少し変わった先生から国語の授業を受けた。教科書をほとんど使わず、先生がわら半紙に印刷した手書きの教材を読むのだ。内容は在日外国人に対する差別を扱ったものもあった。この先生がいなければ、その後の私が日本に住む外国人だけでなく、各国における少数派への関心を強めることはなかっただろう。

 成人してからは、まだ当時はLGBTQという言葉を聞いたこともなかったが、性的少数者が何人かカミングアウトしている外資系の企業で働いた。職場は東京にあったので、日本企業で働く人と話す機会が多かった。時代は「ゲイの人には襲われそうでこわい」と口にする男性に会う頻度が高い時である。ただ、ゲイの同僚たちに毎日のように会っていれば、性的暴行のような犯罪行為をするわけがないことはわかっていた。だからこそ、そんな「気持ち悪い」イメージを抱えている人が多いことにいら立ったし、反論もした。

 そんなわけで私は自分自身について、少数派に対する差別意識が薄く、差別をなくす方向に役立ちたいと思う気持ちが強い人間だと、つい最近まで思っていた。だが、あるニュースを目にして自分の今までの在り方に疑問を抱いたのだった。

 そのニュースとは、東京の都立高校では男女別の定員が設けられていて、男女で合格点に差が生じ、女子が不利になる傾向があるのは憲法上問題があるとして、男女別の合否判定の撤廃を求める意見書を弁護士で作る団体が公表したという内容だった。

 実は私自身が都立高校の卒業生で、男女別に募集される状況は私が入学する頃も同じだったが、そのことに今の今まで全く疑問を抱いたことがなかったのである。都立高校の全日制普通科の入試では、全国で唯一男女別の定員が設けられていて、女子は男子よりも高い点数を取らなければ合格しにくい傾向があって、都議会でも制度の見直しなどが指摘されてきたということを、今般の報道で初めて知った。おぼろげな記憶だが、私が受験した年は逆に男子よりも女子の方が倍率が低く、「そのおかげで合格できた」と喜んですらいたのだった。

 身近にある差別に何十年も気づかずに過ごしていたことに、当然ながらショックを受けた。差別には敏感だと思っていただけに恥ずかしさもある。身近な「当たり前」を当たり前と思わないことの重要性が身に染みた。弱い立場の誰かが苦しまないためにも、アンテナをより敏感に張り巡らしたいと思うようになる出来事だった。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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