金井啓子の現代進行形

問われている吉村知事の憲法観

2021年7月15日

どうなる大阪の「不自由展」

 愛知県で物議を醸し、県知事のリコール運動まで引き起こした「表現の不自由展」。その不自由展が今度は大阪市内で7月16〜18日に開かれる予定だったが、開催が決まったとたん、抗議の電話などが相次いだ。

 そのため、会場である大阪府の施設が「管理上の支障が生じる」ことを理由に提供を拒否。これに対して、不自由展の実行委員会が大阪地裁に提供拒否の停止処分を求めたところ、地裁は会場の利用を認める決定を出した。施設の指定管理者がこの決定を不服として大阪高裁に即時抗告したところ、大阪府の吉村洋文知事は、「即時抗告するのは当然だ」と述べた。

 さて、「表現の不自由展」については賛否どちらの主張もあっていいと、私は思っている。展示に賛成するのも自由であり、また反対する自由も当然ある。仮に、不自由展に反対する人たちが、反対の理由や根拠を言葉や映像などで表現した企画展を開催したとする。もちろん開催は自由であり、言論以外の物理的手段でこれに反対する自由はない。

 大阪の不自由展に賛成だからその主張は尊く、反対だから低レベル、ということは決してない。両者は、自由な言論という意味において等価であるからだ。大切なことは、どのような主張であっても言論の自由は絶対に守らなければならないということだろう。

 ただし、言論以外の暴力的手段で反対を訴えるのは言論の自由とは呼べない。あくまでも言論には言論で、表現には表現で対抗するのが、民主主義国家における言論の自由だ。

 一方、吉村知事は行政の長であり、憲法を尊重し擁護する義務が課せられている。そのため言論の自由を侵害する行為を知事が見つけた場合、不当な行為を極力排除し、言論の自由を守り抜く義務がある。

 だったら、吉村知事に真っ先に求められるのは、不自由展の権利である言論活動を守るということであり、その自由を侵害する行為に対して強い姿勢で臨むことではないか。それが憲法順守義務の意味だろう。

 確かに、会場施設や入場者の安全確保を理由に企画展の開催中止を求めることは、行政トップとして決して間違ってはいない。しかし、その前に知事は、抗議の電話やメール、街宣活動といった不自由展の妨害に対して一度でも強い姿勢で臨んだことはあったのだろうか。卑劣な妨害を阻止するために行動し、不自由展が安全に開催できるよう努力したのだろうか。それらのアクションを抜きに開催中止を求めるのは、あまりにも片側の主張に肩入れしすぎてはいないか。

 大阪の不自由展問題で問われているのは、開催の是非だけではない。法律家である吉村知事の憲法観や言論の自由への理解度も、同時に問われているのだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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