金井啓子の現代進行形

開催する意義はどこにあるのか

2021年7月22日

平和の理念にほど遠い東京五輪

 あらゆることで私は少数派に属することが多い。それをあえて選ぶほど勇気がある人間ではないが、自分が進みたい方向を選ぶうちにそうなった。海外在住で投票できなかった選挙を除いて投票してきたが、私が選んだ人はマイナーな人ばかり。当選するのはまれだった。世論調査の結果を見ても、私と同じ意見を持つ人は少ない。

 だから、私の意見はどうせ通らないのだと諦めかけることもあった。でも、1票は1票、自分が黙ったらおしまいだと思って声を上げてきた。

 そんな少数派の私にとって珍しい状態がいま起きている。東京五輪を巡る状況である。私は東京五輪開催には反対である。今はコロナ禍が主因で反対しているが、それ以外にも、日本の他の都市ならばいざ知らず東京で行うべきではないこと、日本に五輪は必要と思えないこと、灼熱(しゃくねつ)地獄での開催は選手や観客に危険であることを理由として挙げてきた。五輪反対は少数派だと諦めていたが、コロナ禍の影響もあって反対する人が非常に多い。「万年少数派」の私にとっては驚く事態だが、これだけ多くの人が反対すれば中止されるだろうと思っていたら、東京五輪に限っては少数派になってしまった推進論者が聞く耳持たずで実施に向けてまい進した。

 その東京五輪がいよいよあす23日に開幕する。だが、今回はこれまでの五輪のような盛り上がりに欠けている。それも仕方ない。4回目の緊急事態宣言が出された東京なのだ。ほぼ毎日千人を超える新規感染者が出ている東京で、都民は外出の自粛を余儀なくされ、飲食店も営業時間の短縮が求められている。しかも猛暑のために外出や運動を控える呼び掛けがなされている。そんな中で五輪だけは開く。こんな矛盾を目の前に、応援したくても応援のしようがない。

 五輪は「平和の祭典」と言われるが、現在の状況での開催は平和とは程遠い印象がある。来日した選手や関係者のコロナ感染も伝えられており、このままでは国内の感染がさらに拡大する恐れがあると一部の専門家は指摘している。現在の世界的な視野に立てば、平和の象徴とは、戦争や紛争をなくすと同時に、コロナに打ち勝つことではないのか。コロナ禍での五輪が平和の祭典だとはとても思えない。開催ありきの五輪は必ず禍根を残すだろう。

 今回の五輪への猛進ぶりは、第2次世界大戦末期の日本軍の状況によくたとえられる。敗色濃厚が明らかでありながら誰も止められなかったのだ。主催者側はおそらく今後も絶対に「失敗」を認めないだろう。むしろ責任逃れの種々の発言が出てくることが容易に予想できる。だが、なぜ中止できなかったのかといったことを含めさまざまな「敗因」をわれわれの間で共有することを、五輪後に忘れずに行いたい。未来の人々のためにも、何を間違えたのか伝えていく義務がわれわれにはあるはずだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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