金井啓子の現代進行形

介護してわかる介護の苦労

2021年7月29日

 「百聞は一見に如かず」を実感

 百聞は一見に如かず。この言葉がこの1年ほど身に染みたことはなかった。多くの人にとってこの1年の印象深い出来事と言えばコロナ流行だろうが、私にとっては母の介護である。

 何度か本コラムでも書いてきたことで、その実感はお分かりいただけるだろう。また同じテーマかと思われるかもしれないが、私にとってそれだけ切実な問題なのだということをくみ取って、どうか今回もお付き合い願いたい。

 私の母がまだ元気だったころから、私はどちらかというと高齢者が困っている様子には敏感な方だったと思う。時には街で手を差し伸べたし、その際に気づいたことを本コラムに書いたりもした。それでもやはり当時の私にとって高齢化や介護は身近な問題ではなかったのだと痛感したのが、この1年間だったのである。

 今月半ば、約8カ月ぶりに母と外出をした。以前はつえをつきながらではあっても自分の足で歩いていた母が、8カ月にわたる病院や施設での生活を経て、車椅子で出かけることになったというのが今回の最大の変化だった。

 今までは特に何も考えずにやっていたことを車椅子となった母ができるのかどうか、ひとつひとつ確認する作業をたった1日の間に何度も経験した。おいしい洋食が気に入って何度か母と通った店には事前に電話をして、店の入り口にはスロープがあることや、車椅子のままでテーブルの前に座って食事がとれることを確認した。おかげで母はハンバーグやタイのムニエルを味わうことができた。

 その日は私の父が眠るお墓にお参りしたのだが、墓地の通路は狭く所々に踏み石が埋められていたり段差がある。車椅子では菩提(ぼだい)寺の本堂の前までしか行けないだろうと半分諦めていた。だが、車椅子をガタガタ揺らしながらもなんとか狭い通路を通って、母はお墓の目の前まで行って線香を供えることができた。

 8カ月ぶりに一晩だけ自宅に戻った母が、車椅子からベッドに移る時、身長も体重もかなり小さくて軽い母を少し動かすだけで私の腰が悲鳴をあげそうになった。夜には、私は母のベッドのすぐ横に布団を敷いて寝た。夜中に母が目を覚まして動いてもすぐに対応できるようにするためだ。私が別の部屋に寝るならば、母のベッドのそばにセンサーをつけておいた方がいいと介護の専門家からアドバイスを受けたが、すぐそばに私が寝ることにした。結局、翌朝まで母が動く気配はなく、緊張しながら眠りについた私は朝を迎えてほっとした。

 今の私が当たり前のように毎日使って歩いているこの足の力が弱るというのは、どんなことなのか。母の様子を見てそれを実感した。百聞は一見に如かず。これからも母の介護に関して、理解しているつもりでもわかっていない驚きにたくさん遭遇するのだろう。そして、そのハードルをひとつひとつ丁寧に飛び越えていくしかないのだろう。

(近畿大学総合社会学部教授)


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