金井啓子の現代進行形

今ではない子どもたちのパラ観戦

2021年8月26日

貴重な体験も健康であればこそ

 私の趣味のひとつはピアノを弾くことだ。5歳の時に習い始めたので、もう半世紀も弾いていることになる。

 レッスンを受けるかたわら、小学生の頃、母とさまざまなピアニストのリサイタルへ行った。もうだいぶ昔のことなので間違っているかも知れないが、安川加寿子さん、深沢亮子さん、中村紘子さん、そして来日したイングリット・ヘブラーさんなどのリサイタルに連れて行かれた記憶がある。彼らが奏でる音だけでなく、指の運び、身体の動き、息づかい、衣装、明るくライトアップされた舞台、暗く静まり返った客席の緊張感が味わえるホールは、子ども心に心躍る空間だったことを覚えている。

 その後もレッスンは受け続けたけれど、私はプロのピアニストにはならなかった。というよりも、目指すことすらしなかった。それはコツコツと練習することが苦手だったからだ。それでも大学生で中断したレッスンを30代後半にまた受け始めた。プロのようにうまくは今も弾けないけれど、立派なホールを借りてほぼ毎年行われる発表会では、ライトアップされた舞台に出て行って静まり返った客席の前で演奏することが楽しい。

 そんな大人になった私の土台には、小学生の頃のリサイタルでのあの「原体験」があるのだと思う。子どもの時に一流の人が成し遂げた「何か」に触れることは、その後の人生において大きな影響を与えることが多いと私は信じている。それは音楽だけではなくスポーツも同じだ。

 今週開幕したパラリンピックに関して、児童・生徒たちが学校単位で競技を観戦する「学校連携観戦プログラム」が話題にのぼっている。文部科学省のウェブサイトを見ると、同プログラムは「次世代を担う若者に、より多く会場にきてもらうことを目的とした事業」とある。

 すばらしいプログラムだと思う。東京パラリンピックで選手の活躍を目の当たりにした小中高校生のうちの誰かが、後に他国で行われるパラリンピックに出場したり、運営に携わるかもしれないし、障がい者支援に関わる仕事に就くこともあり得る。子どもの頃に与えられる刺激はそれほどまでに大きいし、貴重なのだ。

 だが、それもすべて「平時」であれば、というただし書きつきである。コロナ禍で感染が収まらない今、特にワクチン接種の対象にほとんどなっていない小学生を大勢が集まる競技場へ連れて行くことは、どう考えても安全とはいえない。江東区や江戸川区のように参加を中止した自治体もある一方で、本コラム執筆時点ではまだいくつかの自治体は予定通り観戦させるとしている。

 貴重な経験を子どもたちに積ませることがいくら大切だとはいえ、命あっての物種である。まずはコロナ禍が落ち着くのを待つ。それが今の時代をけん引している大人たちの、子どもたちに対する責任の果たし方ではないだろうか。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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