金井啓子の現代進行形

待ちわびる気軽に飲食できる日

2021年10月7日

宣言解除でも消えぬ不安

 自分が教えている学生たちと飲み食いを共にするのは、正直に言ってちょっと緊張する。それは教職に就いた頃も、そして13年半が過ぎた今もあまり変わらない。学生同士だけで飲んだほうが、教員の私がいるよりも気楽で楽しいのではないか。親子ほども年が離れた彼らと話が合うのか。未成年がアルコールをこっそり飲もうとしたらどうしようか。成人ではあってもむちゃな飲み方をして具合が悪くなったら困る。あれこれ考えてしまう。

 それでも、教え子たちと飲み食いを共にすることは楽しい。それは、教室や研究室では見られない表情を彼らが見せてくれるからだ。きっと逆もしかり。私もビールやワインを口にしながら、普段よりもくだけた口調でくだけた話をしているだろう。その結果、その次の回の授業の雰囲気が温かいものになることはよくある。

 人間関係維持には飲み会がすべてだ、とは思わない。でも、飲食を共にすることで超えられる壁も時にはあるし、学生時代の楽しい思い出の一つとして印象深く残ることもあるだろう。

 だから、卒業直前のゼミ生たちを自宅に招いて料理をふるまったりもしてきた。はっきり言って、私の自宅は整理整頓がなっていない。片づけが苦手だからだ。それでも「ごちゃごちゃしてても笑わないこと」とくぎをさして、代々のゼミ生を招いた。料理は事前に作っておいて大皿に盛るような大雑把(ざっぱ)なものばかり。こんなに食べきれないのではないかと思うぐらいの種類と量を作るが、気持ちよいぐらいの食べっぷりで平らげて帰ってくれる。話題の幅も、苦労して提出した卒業制作から、アルバイトでの経験、就職先、恋愛までと、驚くほど広い。飲んで食べて笑う、にぎやかな一夜を過ごして彼らは卒業していった。

 だが、それも「コロナ前」までのことだった。

 昨年3月も今年3月も、自宅にゼミ生を招くことはなかった。家じゅうからかき集めた椅子に十数人を座らせることはできるが、お互いの距離が近い。まして、卒業目前の飲み会で「黙食」はあり得ない。彼らを感染の危険にさらすわけにもいかず、諦めた。いや、自宅でのパーティーだけではない。今の4年ゼミの学生たちは昨年4月に私のゼミに入ったが、アルコール抜きであっても一度も一緒に食事をしたことがない。

 長かった緊急事態宣言が解除された。飲食店でアルコールが提供されるようになり、休業していた店もシャッターを開け、繁華街はにぎわっている。

 教え子たちと飲み食いを共にするとちょっと緊張する私に、緊張の要因をもう一つ与えたのがコロナ禍である。いくら緊急事態宣言が解除されたとはいえ、学生を預かる教員として無茶はできず悩ましい。あの温かい場を安心して共にできるのはいつの日なのだろうか。

 (近畿大学総合社会学部教授)



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