吉武英行 五感の旅

「お・も・て・な・し」

2021年11月8日
臨機応変のごく普通の「もてなし」が喜ばれる

 作家の沢木耕太郎さんの特別寄稿に、“お”のない「もてなし」という文章を拝見した。五輪誘致の際、元アナウンサーの女性が行ったスピーチで「東京は皆さまをユニークにお迎えします。日本語ではそれを『お・も・て・な・し』という一語で表現できます」。だが、「お・も・て・な・し」が気恥ずかしかったのは、それだけが理由ではなかった。「もてなし」に“お”が付けられている。彼女のスピーチが、例えば味より外見や雰囲気で会食の場を選んでしまう、社用の接待のせりふのように聞こえてしまったのだ。

 仮にそれを因数分解してみると、どういうことなのか。市井の人にとっては「さりげない親切」をするということであり、観光業の人にとっては対価以上のサービス、つまり「より良いサービス」をするということになるような気がする。それはなにも日本の専売特許ではない。

 旅をする者にとって、旅の宿にもっとも必要な「もてなし」とはどんなものだろう。到着時に振る舞われる気の利いた茶菓の接待か。ブランド物を用いたアメニティーグッズか。たぶん、人によって宿に求めるものは違っているだろう。

 ひとつの例だが、旅をしていると、その土地に着くのがさまざまな時間帯になる。外国ではそういう場合、部屋が空いてさえすれば臨機応変にチェックインさせてくれる。日本のホテルや旅館がチェックインを午後3時とか4時からとするにはそれなりの理由があるだろう。チェックインの時間を厳守しようとするのはあくまでも宿の側の都合であり、客の身になってのものではない。

 筆者が旅の宿に求めるもの。その第一が「時間」における、自由度である。異邦の人を迎えるのに必要なのは、過剰な「おもてなし」ではなく“お”のない、ごく普通の「もてなし」であるだろうと思うのだが。

 (ホテル・旅館プロデューサー)



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