澪標 ―みおつくし―

繋ぐって素敵(1)バトンを繋げる(会社の寿命)

祐仙 淳子
井ハラ書房編集長
2018年4月13日

 人生、寿命が延びて100歳時代に突入した。私の住む泉大津市は人口7万5千人程だが、昨年度100歳を迎えた方が19人表彰された。

 しかし人の寿命には限りがある。そして企業にも寿命があると言われている。昔は企業30年説だったが、日経ビジネスには今や5年と書かれていた。

 私が実家の製造業を継いで社長になったのは約20年前。思わぬことからバトンを受け継ぐことになった。職種は機械加工である。プレス・旋盤・複合機等でアルミや鉄を削って精密部品を作り出す工場だ。学卒時に金融関係へ就職した私は、結婚、子育てで退職後「家にいるなら第一種安全衛生管理士の試験受けて資格を取ってくれないか」と実家から頼まれた。それが会社を手伝う事になったきっかけだ。人生三つの坂があると言われるが、その内の一つ「まさか」私がその工場を継ぐことになろうとは。

 製造業の現場はめまぐるしく環境が変わる。最初、東大阪でミシンの部品を製造していたが軽量化のためにプラスチックが導入され鉄の製造は無くなった。ビデオデッキの製品もベータ方式を製造していたのでVHSに取って代わられた。新幹線の保持器を製造していた時、ベアリングの企業誘致で工場を徳島に移した。当時大阪では工場に隣接して住宅が建てられ、夜9時を過ぎると騒音問題で24時間操業が難しくなった事も、移転させた理由である。

 そんなさまざまな変化に、ずぶの素人で、女性の私が対応できるのだろうか。まして中小企業庁長官賞を2度も取って技術が売りの工場なのにと危惧した時、父の一言が私の心を決めさせた。「社長には製造・営業・経理出身の3タイプがある。お前は数字の面から応援してくれれば良い」と。引き受けたものの、そんな簡単な訳にはいかない。

 父の指導は変わっていた。機械の事を学ぼうとすると、余計な事はせず現場にまかせろと叱られる一方、銀行ではどんな用事でも必ず支店長に応接室へ通される様に情報を常に磨いておけと言われた。

 早速私は、工場の環境問題に取り組み微生物で臭気問題を改善したり、社内報を発行して知るべき情報を徹底したり、製造や現場に関するさまざまな事を数字から読み取れる様にした。改善できた時は楽しくさえあったが、取引先に次年から製造が海外生産に切り替わると知らされて目の前が真っ暗になったこともある。会社を存続させなくてはという危機感は、私の中に四六時中付いて回った。そして、社長になって10年程たち創立30年を迎える頃、会社をさらに繋(つな)いでバトンを渡す者は誰かと考えた時、継いでくれる者がいなかった。

 社長は、バトンを次に繋ぐ事も仕事の一つなのだ。そう気づいた時から、後継者の準備を心掛けなくてはいけなくなった。中小企業は事業継承してくれる者が少ないと聞く。正にその通りだ。さまざまな道を模索した末に、バトンは父が育てた工場の人たちに繋ごうと決心し、体制作りにまい進した。

 後に父が病に倒れ、その時に私が父や母へ寄り添って存分に支えとなれたのは、バトンを受けてくれた社員たちやそれを受容して頂けた取引先のおかげだと感謝している。

 これからの時代、AIにより製造業はさらに変化を受けるだろうが、モノづくりの誇りと醍醐味(だいごみ)を継いでくれる若者が育つことを心から願うものである。

 (ゆうせん・あつこ、大阪府泉大津市)