澪標 ―みおつくし―

災害とそろばん

大垣 憲造
大垣そろばん資料館 館長
2019年11月25日

 平成の世は災害続きの時代であったとテレビで言っていたが、その通りだと思う。大阪でも昨年は大阪北部地震や台風21号などが襲来し、中国地方も豪雨によって甚大な被害を受けた。令和になっても台風15号や19号は関東・東北・中部地方に大きな爪痕を残した。

 こうした災害の歴史は、過去、数え切れないほど多くあったが、江戸時代末期に起きた南海地震の津波で流され、その後のことを記録してあるそろばんを紹介したい。

 8年前に筆者はネットオークションでこのそろばんを購入した。底板付きで重量が2・5キログラムあり、5玉が1個、1玉が5個で21桁の播州製そろばんだった。ところが、この底板の裏に驚くべき由来書が彫り込まれてあり、全159文字には次のような内容が記されていた。

 「さる安政元年(1854)年11月5日未曽有の大地震があり、1丈3尺(3・9メートル)の大津波で家や倉庫は流された。人々は高地に避難したが、このそろばんは南の海を漂流した後に陸地へ戻り、灘村の庄屋喜田氏の田の中に埋まった。3年後に掘り出され私(大黒屋兵助)の元へ戻ることになった。ああなんと不思議なことだ。後々までもわが家業の喜瑞となるだろう。ここにその由来を記す」。

 このようなことを持ち主の求めに応じて久保時秀という人が由来文を書き、それを底板の裏に彫り込んだため、歴史的な事実を知ることができたのである。

 もちろん、筆者は古文書を正確に読むことはできないので、『武士の家計簿』(新潮新書)など多くの著作で有名な歴史学者の磯田道史氏を紹介してもらい、この文章を速やかに読み解いていただいた。また、この経緯をある全国紙に掲載してもらったが、この記事を書いた記者の努力で、灘村とは徳島県牟岐町の旧灘村だったことも判明。大黒屋兵助の子孫に当たる人もつきとめることができた。筆者が気になっていたことだったので、胸のつかえが下りた感じがした。

 実は、この大黒屋は屋号で、本名は大久保氏だった。大久保氏の遠縁になる中山清氏がこのそろばんを実際に見たいとのメールが記者からあり、「どうかぜひ見てください」と返事をしたところ、徳島からわざわざ資料館(豊中市)に来ていただいた。中山氏は南海道地震津波の記録を残す会の会長をされている。

 自慢するわけではないが、筆者の私設資料館は平成25年に開館以来、多数の見学者に来館いただき、オーストリアやブルガリア、そして中国やマレーシアなど外国からの参観者もいる。その折には、必ずこの津波から生還したそろばんのことを説明すると、皆さん一様に感動されて、質問も多く関心も高い。

 平成23年の東日本大震災の際、その被災を生き延びた象徴として陸前高田市の“奇跡の一本松”が話題になった。筆者はこの松にあやかり、“奇跡のそろばん”と名付けている。

 一丁のそろばんを通して、多くの人々に津波の恐ろしさを今後も伝えていきたいと思っている。

 (大阪府豊中市、おおがき・けんぞう)



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