澪標 ―みおつくし―

三流サラリーマンの流儀(3) とりあえず今日を生きる

宮崎 研之
株式会社日放メンテナンス代表取締役社長
株式会社プリティ代表取締役社長
2020年1月6日

 今回は、私が銀行員生活をスタートさせた昭和50年代の話です。

 銀行に入った同期生は110人程度でした。

 そのころ都市伝説のように語られていたのは、「将来を嘱望されている新入行員は、大阪環状線の内側にある支店に配属される」というものでした。そんな中、私の最初の勤務地は通勤沿線に田畑が続き、駅を降りれば潮の香りさえ漂ってくる、都心から遠く離れた支店でした。学生時代、東京で先輩訪問をしたのはこの銀行の新宿支店でした。支店周辺は雑然としていて、丸の内か銀座あたりの支店がいいなと能天気なことを考えていた私にとって、想定外の勤務地で大きなショックを受けました。

 銀行に入ると、札勘(お札の勘定)とソロバンの研修が待っていました。ソロバンは小学校の授業以来で全くの素人でした。札勘には1枚ずつ勘定する縦読みと、扇形にお札を開く横読みがあります。紙でできた模擬紙幣を使って練習しました。テレビで見たことのあった横読みができるようになると、何となく銀行員になった気がしました。

 支店で配属されたのは出納係でした。札勘とソロバンが必須の係で、新入行員が配属される最もポピュラーな部署です。「マンツーマン指導員」という人が銀行事務について教えてくれます。私の指導員は高校を卒業して何年かたった女性でした。私の方が年上ですが、銀行業務では彼女が先輩です。敬語を使い素直に指導を受ける日々が始まりました。

 そして初めて窓口に出る日がやってきます。目立たないようにしますが、当然客はやってきます。最初は両替や単純な現金の払い出しからスタートしました。客が両替に来たら、そのお金を後方にいる主任に渡すと、客の要望に沿った金種で戻ってきます。それを私が再度勘定して、間違いなければ客に渡します。主任は私を信用していないので、わざといくらか少なくして渡されます。それに気づかずに客に渡しそうになるとストップがかかるという、ちょっと意地悪なテストもされました。長く待たされて怒った客から番号札を投げつけられたり、私のミスが原因で勘定が合わず、調査のため支店全員が深夜まで残業したり、今思い出しても冷や汗が出る綱渡りの毎日でした。

 ある時は競輪場で、競輪選手が賞金としてもらった小切手を現金に換えるという仕事をしました。間違えてはいけないと思い、何度も何度も現金を数えなおして、お札はスポンジから指でつけた水でびしょびしょ。窓口には競輪選手の長い列ができ、次のレース開催地に向かわなくてはいけない選手の間から苦情が聞こえてきます。「遅いなあこいつ」「電車に間に合わないぞ」「こんなぬれたお札気持ち悪いぞ」。全部払い終えた時はぐったりです。とにかく、最も自分には適性がない職業についてしまったという思いが強く、いつ辞めよう、いやもう少し頑張ろうという葛藤の中で、毎日を過ごしていました。

 しかし、このころはまだ、銀行の本当の厳しさをわかっていませんでした。

 (大阪市都島区、みやざき・けんし)



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