澪標 ―みおつくし―

結果ではなく過程を重視するということ

四辻 伸吾
大阪教育大学附属平野小学校副校長
2020年1月20日

 映画や小説、音楽あるいはさまざまなイベントなどには、全体の流れの中に、人々の気持ちを一気に引き込んでいく名場面というものがあります。映画や小説だったら、序盤の淡々とした伏線がクライマックスになってから一気に回収されて、物語が最高潮に達します。ミステリー小説などでは、最後に「どんでん返し」があり、終盤のあっと驚く展開により、これまでのストーリーの見え方が180度変わることがあります。音楽だと、静かなイントロから始まり、サビの部分で大きく盛り上がり、人々の心を魅了します。また、たくさんの人々が参加するイベントでも、ある場面が来たとたんに人々の心が一つとなり、みんなが一体感を感じて夢中になっている様子もよく見られる光景です。

 このような名場面や「クライマックス」の盛り上がりは、読者や視聴者、そこに参加する人たちに大きな期待を抱かせます。それぞれの導入の淡々とした場面においてもそれらのクライマックスシーンで一気に盛り上がるのをハラハラドキドキとした気持ちで待っています。たとえ序盤が味気ないものであっても、やがて訪れる盛り上がりを体感するために、淡々とした場面を我慢してやり過ごすなどのようなこともよくあることだと思います。

 教育現場においても、子どもたちや保護者の方々、そして教員もついつい「出来栄え」ばかりに意識を向けてしまう傾向があるのではないでしょうか。本校、大阪教育大学附属平野小学校では、教育活動において「結果ではなく過程」を重視しています。運動会や音楽会、修学旅行、卒業式等、学校にはさまざまな行事がありますが、いずれもさまざまな方々に見ていただく本番の場面と、本番に向けての着々と進める練習や準備の場面があります。本番の場面で素晴らしい結果を出せたことに対して子どもたち自身が満足感を持って感動すること、あるいは十分ではなかった場合にそれらの原因を追究し、その後の学習意欲を高めたりすることは非常に意義のあることだと思われます。

 しかし、本当に重要なのは目標に向けて自分たちがどのような歩みをし、どのような努力や創意工夫をしたかという過程そのものです。例えば、本校の運動会は、表現運動などの団体演技種目を子どもたちが学級全体、学年全体で話し合いながら作っていきます。自分たちが演技をする表現運動のテーマやストーリーを決め、それらに沿った一つ一つの動きをグループごとに考えていきます。これらを考える話し合いにおいては、子どもたちが意見をぶつけながら、みんなで力を合わせ目標に向かって少しずつ進んでいく過程を体験することができます。それらの話し合いはときにはうまくいかないこともあり、創意工夫をすることの難しさ、全員の意見をまとめることの大変さを感じます。しかし、これらの経験からの学びは、結果としての「出来栄え」だけに着目していては把握できないものであり、「出来栄え」の良し悪しからは得られない貴重なものだと考えられます。そして、子どもたちも「結果ではなく過程」を重視する習慣が身につけば、「出来栄え」だけではなく、「過程」そのものを楽しむことができるでしょう。

 映画や小説、音楽などにおいても、「クライマックス」や「サビ」の盛り上がりだけではなく、導入部の淡々とした場面やささやかな一場面の中に「キラリ」と光るものを見つけることができます。また、「キラリ」と光っているとは言えないような何でもない場面でも、心揺さぶられることがあります。光り輝く目的地だけを見て、汗を流しながらまっすぐに進むのも素晴らしいことですが、一見何でもない道に咲いている小さな草花をながめながらゆっくり歩く過程を楽しむことも、大切なことではないでしょうか。

 (大阪市平野区、よつつじ・しんご)



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