澪標 ―みおつくし―

付加価値の付いたそろばん

大垣 憲造
大垣そろばん資料館館長
2020年3月2日

 戦国時代の武将、黒田官兵衛配下24騎のひとり久野四兵衛重勝は、豊臣秀吉の命を受けて博多の町割りを銭を使って素早く提示した。これを見た秀吉は、彼の機知には算勘能力が高いと評価したものと考えられる。なぜなら、褒美としてそろばんを与えているからだ。

 この秀吉からの拝領そろばん(日野和輝氏所蔵)は、長い間よく分からない謎のそろばんとされてきた。しかし、2014年になってその由緒を証明する古文書が相次いで見つかった。それは『黒田二十四騎伝二』(筑紫女学園高校所蔵)、『久野家御宝器控』(福岡県立図書館所蔵)、『久野家諸覚』(久野家所蔵)の3点で、いずれも「秀吉公から町割りの功績により授かった算盤(そろばん)」と記されていた。文中に1591(天正19)年の文字があるので、この年かまたはそれ以前に作られたものと推定できる。

 これまで由緒あるそろばんとしては、前田利家が92(文禄元)年に肥前名護屋城の陣中で使用したものが日本最古だったので、拝領そろばんが現在のところ一番古いものと珠算史の研究団体からほぼ認定された。

 このため、所蔵者の日野氏がテレビのお宝鑑定番組に出演され、驚くような高額の鑑定結果が出た。鑑定士は「これは兵器です」と発言されていたが、戦国の世は戦うための武具だけではなく、兵站(へいたん)部で計算するそろばんも同じように重要な役割を担っていたということだろう。もちろん、そろばんそのものも重要美術品級の素晴らしい作品であるが、天下人の豊臣秀吉より拝領したという歴史的評価を受け、大きな付加価値が付いたものと考えられる。

 また、日本で最初に本格的で細密な地図を作成した伊能忠敬は、まさに驚嘆すべき人物と言えよう。彼の生涯は、たびたび小説や映画・テレビなどに取り上げられている。

 下総佐原村(千葉県)の酒造商家の主であったが、隠居すると本格的な天文学や暦学を学び、自分より若い高橋至時の弟子になり猛勉強に励んだ。そして56歳から72歳まで全国を歩き、実測による日本地図である『大日本沿海輿地全図』を作成している。当時、作られた欧米の地図に比べても決してひけをとらない立派なものであった。

 地図作成に使った測量器具類、例えば半円方位盤、象限儀、測量定分儀などと並んでそろばんも使用している。そろばんは陶器玉や大津製などがあり、測量や天体運行の計算に必要不可欠なものであった。陶器玉は屋外で活動する際に雨が降り、ぬれても拭けばすぐに使えるためと思われる。彼が使用した測量器具一式(そろばんも含む)は、現在なんと国宝に指定されている。

 重勝のそろばんと忠敬のそろばんは、いずれも優品だが、一方は秀吉からの拝領、一方は日本初の地図作りに貢献している。そのことに大きく付加価値が付いたことは確かだ。たかがそろばんと、決して言えない代物である。

 (大阪府豊中市、おおがき・けんぞう)



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