澪標 ―みおつくし―

三流サラリーマンの流儀(4) いつか夜は明ける

宮崎 研之
株式会社日放メンテナンス代表取締役社長
株式会社プリティ代表取締役社長
2020年4月14日

 銀行を舞台にした小説「半沢直樹」。テレビドラマ等で見た方はどんな感想を持たれましたか? あれはフィクションだから、大げさな筋立てになっているんだろうなと思われましたか? 現在はともかく、コンプライアンスやパワハラなどという言葉も一般的でなかった時代の銀行は、小説を上回るドラマが毎日のように起こっていました。

 銀行に入って3年目に初めての転勤を経験しました。銀行はお金を扱う仕事なので勤務地を頻繁に変えて不正を防止するとともに、異動が発令されると問題行為を隠蔽(いんぺい)できないように、1週間もしないうちに次の勤務地に行かなければなりませんでした。

 新勤務先は大阪の下町の支店で、そこで初めて外回り業務を経験しました。当時は銀行間の預金獲得競争が激烈な時代で、退職金、不動産売却代金、生命保険金などお金が動きそうな情報があると、顧客の迷惑も顧みず、夜討ち朝駆けで預金勧誘を行いました。

 支店での会議は早朝、深夜を問わず頻繁に行われ、目標達成への厳しいげきを飛ばされました。どう喝まがいの指示命令も、当時は特に問題ともされず、業績向上のためには当然という風潮でした。

 都市銀行がまだ13行もあった時代です。後にそれが4行に集約されることなど夢想だにせず、ライバル銀行の預金の自行への預け替えにも奔走しました。顧客の保有する他の銀行の定期預金証書を預かり、その銀行の窓口で解約手続きを待っている間は、もちろん顧客の同意を得ているとはいえドキドキしたものです。

 その後、別の支店で融資部門に配属されると、財務分析、担保管理、融資書類の整備等、神経をすり減らす毎日が待っていました。融資審査の結果によっては融資を断る場面もあり、自分の親ほどの年齢の経営者を相手に経営指導をしたり、時には叱責(しっせき)したりと、取引先企業の命運に関わる緊張感のある仕事も経験しました。

 やがて昇格を重ねて責任ある立場になると、部下の人事管理も重要な仕事となります。その内容を書くことはできませんが、職員の不祥事によって賞与を大幅に減らされたことも幾度かあります。その際、この銀行では始末書を毛筆で書くことが慣例となっていて、軽い事案なら宛先は人事部長、重大事案の場合は頭取宛とされ、清書用と下書き用の和紙と見本文が人事部から送られてくると、改めて事の重大性を認識させられたものです。

 大阪のいくつかの支店勤務を経て、名古屋近郊の支店、さらには東京の支店と異動を重ねた後、関西に戻り、本部の融資審査部門に配属されたころ、関東を主な地盤とする都市銀行との合併話が持ち上がりました。合併直後の経営悪化時の銀行内部の状況は、連載1回目にフィクションとして書いた内容に近いものがありました。

 希望退職者の募集があったり、仲間が突然転職でいなくなったりと殺伐とした空気が本部ビルに漂い、将来への不安ばかりが募っていきました。

 そんな先の見えない暗闇の中、突然視界が開けました。

 (大阪市都島区、みやざき・けんし)



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