澪標 ―みおつくし―

住まいの終活について、話をし始めましょう

清水 透
株式会社ウィルリノベーションコーディネーター
2020年5月18日

 先日、北関東の実家にいる母親と軽い口げんかをした。その実家を将来的にどうするかという話を持ちかけたときのことである。「そんなこと言われたって、私はまだ住んでいるんだから!」「そりゃ分かってるけど、お母さんが生きてるうちに考えておかんと…」という具合である。

 兄は実家の近くに家を建て、私は関西に家を持っている。将来、住む可能性のある人は、今はいない。資産性から考えると、実家の建物は売っていくらかというそろばんよりも、果たして売れる日が来るのかという不安が先に立つ。市に引き取ってもらってどうぞみなさん憩いの公園に…という選択肢があるのか。そろそろ聞いてみようかと本気で考えている。

 家は不思議なものである。車や宝石なら決して起こらない会話が、家にだけは起こる。それだけ意味や価値、“情”のあるものなのだろう。また、私はそれをなりわいにしてきていることに誇りもある。ただそんな私も、人に助言はできるものの自分の実家の将来は見通しがつかない。

 「住まいの終活」−。これは、死んで終わりではない分、厄介だ。果たしてこのコラムを読まれた方の中で、「うちは大丈夫やで!」という方は何%くらいいるのだろう? 「言われてみればJR芦屋駅前のマンションが…」それは大丈夫。「阪急夙川駅徒歩5分の実家の戸建が…」それも問題無し。売りなはれ。売って仲よう分けなはれ。問題なのは売れないし、朽ちるに任せて放ってもおけない地方の家。無論マンションも。マンションの方が、管理費・修繕積立金が半永久的にかかり続ける分、面倒かも知れない。

 この件は「情を交えずに」まずは話題に上げないと、まずい。何しろ大型台風や猛威を振るうコロナウイルスと違い、100%訪れる近未来。つまり“予定”である。「まさか親が死ぬなんて思ってなかった…」というボケを、「なんでやねん!」とツッコめるのは他人のときのみで、ほとんどの人が、あたかも親が死なないかのように振る舞っている。

 商談をしていると、「今の家以外に夫婦それぞれの実家と、そのまた実家、計5軒あって」それらをどうしようか見当もつかないという話がよく出る。言い方は不適切かも知れないが、残す方は考えなくていい。考えるのは残される人だ。

 選択肢は大きく分けて、(1)自分が住む(2)子供に住ませる(3)売る・貸す(4)寄付する(5)放置するの五つ。自治体の空き家相談窓口、空き家バンクなどのサイト、司法書士などで作るNPO等々、相談先はいろいろある。でもここでご提案したいのは一つだけ。「住まいの終活について、話をし始めましょう」ということ。団塊の世代の減少が始まり、市場に「計5軒の家」が出始めてからでは遅い。

 私もこのコラムをきっかけに、もう一度、親と兄貴と実家について話をしようかな…。いや、面倒だからまたいつかにしよ、次男やしな…。

 (兵庫県宝塚市、しみず・とおる)



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