早いもので最終回を迎えた。これまで音楽や演奏のこと、在日であること、母であり個人であることなどを書いてきたが、最後に主宰しているサロンについて書きたいと思う。
2世帯住宅を兼ねたサロン建築計画を進める上で、まず山本理顕『新住居論』や『地域社会圏主義』などを読んだ。住居とは何か、プライベート/パブリックなどについて建築家・田口喜章氏(一級建築士事務所スズメバチ)と議論を深めていき、最終的にプライベートとパブリックの中間の「コモン(共有)」を設けて、そこに「オンガージュ(Engage)」と名付けた。
名前の由来となった「アンガジュマン(Engagement)」という単語に出会ったのはドイツ留学中だった。辞書を引いても、日本語には存在しない概念だったので、初めはあまりピンとこなかった。英語ではエンゲージメント、つまり〈約束〉と訳されるが、ドイツやフランスでは全く異なった意味を持ち、〈社会参与〉と訳される。『アンガジュマン宣言』を出した哲学者サルトルの影響により、特に〈芸術家が社会参与する〉という意味でも使われている。
ところで、今年5月にミネアポリスで白人警察による黒人暴行死事件が起き、「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」と呼ばれる抗議運動が起こり、テニスプレーヤーの大坂なおみ選手がこれを支持するツイートをしたところ、スポーツに政治を持ち込むなと「炎上」した。彼女はすかさず「アスリートは政治的に関わるべきでなく、単に楽しませればよいという意見は嫌だ。第一にこれは人権の問題である」と反論。日本でも有名人が政治的発言をするとたたかれる傾向がある。しかし、有名人である以前に、誰もが一人の人間であり、誰もが政治的に発言する権利を有しているはずである。
先ほどの単語と照らし合わせてみる。人は社会的な存在であり、社会に対して参与する、つまり「オンガージュ」するというのは至極当然のことかもしれない。それは、目指したい社会の方向や理念をおのおのが自覚的に持たなければならないことを意味する。
ドイツから帰国した私は、あるキリスト教青年団体の代表を務めることになり、2002年に研修で旧NPO法人北九州ホームレス支援機構(現NPO法人抱撲)を訪れた。小倉城近くの公園では超教派のキリスト教団体がホームレスへの炊き出しや物資支援、声掛けボランティアなどを行っており、私たちはそれに同行させてもらい、自立支援アパートの入居者にお話を聞かせてもらった。そこで社会的なつながりを絶たれた人たちの横にじっと座る奥田知志牧師の姿に強い衝撃を受けた。あれから、私は「オンガージュ」できているだろうか…そんな問いがいつも頭の片隅にある。ピアノを弾く時も、子育てをする時も、誰かとお茶をする時も。
ひとたびこの世に生を受け、命をどのように使うかは理念による。私たちは不平等、格差、偏見、差別などが構造的に再生産される社会に生きているが、理念はそれらを突き抜けた向こう側を志向することができる。
来月、宮沢賢治『よだかの星』をサロンで上演する。生きることの不条理を突き抜けたよだかは最期、夜空に輝く星となった。よだかは一羽だったが、理念を同じくする仲間がコモンにおいてつながり、芸術を介することで共に「オンガージュ」していければと願っている。
(大阪市天王寺区、オオ・タミ)
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