澪標 ―みおつくし―

地震、台風、洪水、コロナ。AC10年、家の価値は「換金」から「利用」へ

清水 透
株式会社ウィル リノベーションコーディネーター
2020年8月24日

 頻発する自然災害や今回のコロナ禍を経て、住宅の役割はどう変わっていくのだろうか。最後となる5回目は、そんなことへの私見を述べたい。

 資産価値から利用価値へ−。これは住宅についてここ十数年ずっと言われてきたことである。バブル期に転がすための“投機物”と化した不動産が、ようやく本来の意味を持ち直す機会かも知れない。「築25年たった木造建物には価値がない」という不動産業界でよく言われる視点。これは投機視点であり、資本主義の目線、極言すれば換金性のみからの視点。これが、ようやく変わる…んやないかなと。

 この半世紀、多くの日本の家では「今日の分の」生活と就寝だけを目的にし、エネルギー、食糧、仕事、遊びのほぼ全てを外部委託してきた。アウトソースすることによって、世の中のお金を回してきたとも言える。これが限界まで行きついた。昔の農家のように全て内包するのは難しいけど、一部分なら今いるその家でできるかも知れない。

 太陽光発電、エアロバイクを5キロこいだらスマホがフル充電できる自家発電。週2日在宅テレワークできる机ひとつ分とネット環境。災害時に家族が1カ月飢えをしのげる備蓄庫畳1枚分。スーパーで買う野菜を朝食分だけ減らすための家庭菜園をバルコニーに4平方メートル。空気を循環させ、PM2・5をシャットアウトするための換気設備や専用網戸。ウイルス侵入を阻むウインドカーテン付の風除室を玄関先に。完全防音は無理でも遮音設備を入れて楽器を演奏できるようにしたり、天井からハンモックやサンドバッグをつって、遊んだり、動いたり。

 シェルターであり、エネルギー基地であり、備蓄庫であり、オフィスであり、菜園であり、公園であり、ジムであり。小さなスマホがあれだけ頑張っているのに、大きな住まいの役割がビジネスホテルのそれ程度であっていいはずがない。日本の多くの家に何かが物足りないと思って、私自身はいろいろな住まいを作ってきたつもりだが、こういうことだったんかな。「自分のことは自分でやりなさい」と言い聞かされ、言い聞かしてきたことの大ブーメラン。われわれ大人の大半が、あまりにも外部に、お金に依存しなければ生きていけないことを突き付けられている、今、である。

 20世紀半ばにアルジェリアで起こった疫病について記された「ペスト」(カミュ著)は、当時の市民の様子が苦笑いするほどにコロナ禍中の大阪と変わらないことを教えてくれる。「三陸海岸大津波」(吉村昭著)には、主だった記録だけでも18回も大津波に襲われ、そのたびに甚大な被害を受けてきた彼の地の歴史に慄然(りつぜん)とさせられる。

 「想定外なので」と言っていいのはどうやら政府だけであり、日々を生きる99%以上の日本人は自分の力で生き抜く覚悟が問われることとなった。これはたいへんな時代になった、のではなく、100年後に振り返れば、相当に奇異だった時代が過ぎ、揺り戻され、本来の姿へ戻る一里塚なのだろうと、私は思う。

 AC(アフター・コロナ)10年=2030年の住まいは、きっとそうなる。自分のことを自分でできる人へ、それを支える住まいへ−。住宅環境を提供する者として、そんな哲学を持ちながら日々を送りたい。

 日々の思いを好きに書かせていただき、個人的に良い記念になりました。お読みいただき、お付き合いいただき、ありがとうございました。

 (兵庫県宝塚市、しみず・とおる)



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