澪標 ―みおつくし―

「パラスポーツ」に込める思い

真田 明子
しんあい高等学院/明蓬館SNEC大阪・玉造 学院長
2020年9月27日

 大阪日日新聞「澪標」への執筆のご縁をいただきありがとうございます。自分の半生の中で最も影響を与えてくれた、パラスポーツ(障がい者スポーツ)、パラアスリート(障がい者アスリート)を通して、読者の皆さまの人生のお役に立てることをお伝えできたら幸いです。

 さて、私のパラスポーツとの出合いは、2000年10月18日から29日にオーストラリアニューサウスウェールズ州シドニーで開催された第11回のシドニーパラリンピックでした。私は開会式をテレビの前で見ていました。

 あれから20年がたちました。当時は「パラスポーツ」ではなく「障がい者スポーツ」と表現されていて、東京パラリンピック2020が決まってから、呼称が「パラスポーツ」となりつつあり、障がい者アスリートも「パラアスリート」と表現することが多くなりました。表現する言葉を替えることで、与える印象イメージが変わることを感じています。

 国際パラリンピック委員会(IPC)もパラリンピック競技だけでなく、障がいのある人がするスポーツ全体を(パラレル=parallel)、もう一つのスポーツとして「パラスポーツ」としています。

 私は、そのパラアスリートのパフォーマンスから人間には無限の可能性があることを感じ、魅せられ、シドニーから4年後のアテネパラリンピック、北京、バンクーバー(冬季)、ロンドンと4大会、現地にて観戦をしてきました。その時に目にした、選手村の光景は今でも鮮明に記憶にあります。

 参加国のパラアスリート、健常者の監督、コーチ、ボランティアの学生、各国の食事を提供している人など、障がいの有無、年齢、性別、肌の色も言葉も習慣も異なる人たちが、何の違和感もなく、楽しそうに集っている光景に感動し、そんな社会を日本でつくれたらと、おこがましくも思った原体験が、今の仕事の原点となっています。

 「共生社会」とは、共に目指すところが同じであれば当たり前にできる現象で、パラリンピックの選手村で見た光景こそが、まさしくそうだと思います。東京パラリンピックは、コロナ禍によって延期となりましたが、この大会のレガシー、未来に何を残すのかは、人づくりだと考えます。未来を担う若者、子どもたちがパラリンピックを見ることで、一人一人が肌で感じ、自分の無限の可能性に気づき、生きる力、あふれる人間力を養う機会になると確信します。

 1964年の東京パラリンピックのレガシーは、オリンピック開催場所、日本武道館、国立代々木競技場が建てられ、日本が世界に誇れる高速道路、新幹線、東京モノレールなど東京の交通網の利便性が上がり、その後の交通や流通に大きな影響を与えました。私たちの今の生活の便利さや物の豊かさに大きく貢献していることを改めて感じます。

 2020年の大会のレガシーとは、豊かな心をもった人を創ることだと考えています。世界に類のない高齢社会の日本において、また、特性、価値観の異なる多様な人が増える中、誰もが幸せに健康で豊かに暮らせる社会をつくることで、世界に誇れる国になる。経済大国から豊かな心をもつ人財大国へとシフトする。コロナ禍によって、大会開催への賛否はありますが、個人的には、開催を願っています。パラスポーツ、パラアスリートの魅力を発信することで、人々の意識や行動が変化し、人生100年時代を幸せに生き抜く力を育むことができると思っています。

 NPOでは、今年開幕する予定だった開会式の8月25日を「パラスポーツの日」として記念日協会にて登録し、その日にパラスポーツを見て、知って、支えてのイベントを通して魅力を発信しています。

 健全な身体から健全な精神(豊かな心)が宿ると思っています。障がいのある人もない人も共に楽しめるパラスポーツ。5回目の最終回には、読者の皆さまが、パラスポーツを体験してみたいと思っていただけたらうれしく思います。

 (大阪市東成区、さなだ・あきこ)

 【プロフィル】1959年生まれ。高校卒業後卸問屋に就職。その後営業職に転職。アルバイトで介護の仕事に就いたことがきっかけで、2002年に(資)ステージケアを設立、高齢者、障がい児者のケア事業を始める。同社で介護人材養成研修を開講、延べ2千人の卒業生を輩出。17年に発達障がい(特性)に特化した通信制高等学校サポート校を開校。04年から4回のパラリンピック現地観戦。パラアスリートのパフォーマンスに魅せられ、人間の無限の可能性を発信するために06年よりNPO法人アダプテッドスポーツ・サポートセンターにてボランティア活動を始める。


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