職業を問われ、花嫁介添人であると答えると、多くの方、特に女性はその仕事内容に興味を持ってくださる。
一言で言うと、花嫁のお世話係である。例えば、身動きの取りづらいウエディングドレスを着て、手にはブーケを持ち、十数センチのハイヒールで歩くことは想像以上に大変であり、少しでも負担が少なく、かつ美しく歩いていただける方法をお伝えすることから私の一日は始まる。
和装の花嫁の場合は独特の所作もある。美しい花嫁をより美しくお見せするよう心掛けているが、一番大切なのは花嫁に安心感を持っていただくこと。そのためには、そばにいる私自身が、落ち着きと気遣い、美しい所作を心掛けなくてはならないが、まだまだ至らない。仕事の帰り道にあれこれ反省することも多々あるが、この仕事にやりがいを感じている。
現在52歳である私は、20代の頃はホテルでウエディングプランナーとして働いていた。新郎新婦と何度も打ち合わせを重ねながら結婚式と披露宴を創り上げていくのが仕事であり、初対面から挙式当日までそれなりの期間を要するため、その分、お客さまと親しくなる機会を得た。
一方、花嫁介添人はまさに一期一会である。私が花嫁と初めてお会いするのは挙式当日であり、ご一緒できるのはわずか5、6時間。後日お会いすることもない。しかしながら、その数時間が花嫁の人生においてどれほど大切な時間であるかは言うまでもない。
今年、予期せぬコロナのまん延によって、結婚式の延期や中止が相次ぎ、私は1995年の阪神淡路大震災の時のことを思い出した。当時、ウエディングプランナーだった私は、同僚たちの安否も不明な中で対応に追われた。大阪市内にあった勤務先のホテルは、建物自体は大きな被害はなかったが、当然、結婚式の延期が相次ぎ、余震の中、スタッフもお客さまも口々に「どうしてこんなことになってしまったのだろう」と途方に暮れた。まさに、今のコロナ禍と同じ状況だ。ひたすら、お客さまにとっての最良の方法を模索したが、あの時のスタッフの結束力は素晴らしかったと今でも思う。
震災直後、半壊した神社で挙式したカップルがいることを偶然ニュースで知った。倒れた鳥居と白無垢(むく)姿の花嫁の映像を見て、その凛とした美しさに涙がこぼれたと同時に、「プランナーの私が泣いている場合ではない」と気が引き締まった。
今でも1月17日を迎えるたびに、あの頃、私が担当させていただいた花嫁たちを思い出す。無事に挙式を終えた花嫁たちからもらったお手紙は今でも私の大切な宝物だ。
あれから25年。コロナ禍での数々の難題を乗り越えて、ようやく挙式当日を迎えた花嫁たちの心情を察する。その思いに寄り添える花嫁介添人でありたいと思う。
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