澪標 ―みおつくし―

人生の物語に寄り添う音楽

朴守賢
作曲家
2021年1月4日

 昨年はベートーベン生誕250周年からBTSの世界的大躍進まで、新旧さまざまな音楽が人々の心の支えとなり、人生の物語に寄り添っていることを改めて実感した年でした。一方で、世界は新春を迎えた今も平穏を取り戻せていません。私が身をもって知る限り、昨年ほど世界中が共通のイシューで日常的に数多くの生死を報道することはありませんでした。この時世にあって、生活様式と共に生死の距離感にも変化を感じます。多くの方々が突然の別れに心を打ち崩されたことでしょう。

 私の創作テーマ「音楽=生命=時間」について、関連する自作品のエピソードを交えてお話する今コラムの2回目ですが、今回はそのような方々に思いを寄せながら、15年前に人生の円環を閉じた父を思い慕って書いた作品を採りあげます。

 《下弦挽歌》(2014年作曲、ティーダ出版)。トリオ・ダンシュ(オーボエ、クラリネット、ファゴットの三重奏)編成の作品です。作曲当時は、フェリー船内演奏の仕事で数日海上で過ごしていました。月が少しずつ移ろう様が鮮明な夕空、天体の丸みと引力を雄大に示す海。大きな生命の母体に抱かれながら曲を書き進める中、図らずも乗船中に父の命日を迎えました。そして、空と海の群青が一体となるように、父への思いが自然とこの曲に溶け込んでいきました。父の命日に浮かんでいたであろう月とほど近い下弦の月が、この日も私を見守ってくれていました。(このコラムが掲載される日の月もまた、下弦の月にほど近いです)

 実は、私たち家族にはさまざまな事情があって、家族と別居の父の死を知ったのは実に2年後のことでした。信じられないかもしれませんが、私の姉は昔から霊感が強く、ある年の大みそかに姉の枕元にご先祖様が降り立ち、祖父の墓に行くように告げられたのです。墓には父の名前が書かれた木札が立てかけられていたそうです。翌日の元旦、私はその事実を姉から聞きました。(余談ですが、父は別居先で納骨されないまま、2年後ようやく親族の手に渡り入檀したことが後からわかりました。姉が2年後にお告げを受けた理由です)

 私は二十歳頃まで通称名で生活しており、父とは社会人として一度も会えなかったので、父は私が本名でこうして作曲活動をしていることを知らずに旅立ちました。どうか病床で伝聞し、それが親孝行のひとかけらにでもなっていればと願いますが、わかりません。

 この作品はそのような私自身の心を慰めるものでもありました。音楽はいかなる時も私たちの心、魂を慰め、人生に寄り添ってくれます。音楽が流れる美しい時間は、私たちの人生の時々で書き足される悲しく理不尽な物語を少しずつ自らの生の内に受け入れる手助けをしてくれます。そして、音楽が鳴りやむように死を迎えることによって、生命の円環は美しく完結することを悟らせてくれます。

 ちょうど今月、委嘱作品で葬儀セレモニーのための弦楽四重奏曲を書きます。この音楽を共にする方々の物語に寄り添い、大切な方がその人生の円環を閉じた最後の時間は美しかったと思っていただけるような作品を作曲したいと思います。もちろん、父への思いも胸に浮かべながら。

 (大阪市天王寺区、パク・スヒョン)



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