澪標 ―みおつくし―

たこ焼きの秘密!

喜多條 清光
天満大阪昆布 主人
2021年1月18日

 「清光! たこ焼き焼いてくれへんか?」。毎年12月の一番忙しい時期の午前6時ごろ、兄がフラッと家にやってきて、台所で昆布料理の試作をしている僕に声を掛けます。僕は天満の昆布問屋の次男に生まれましたので、昆布屋を継ぐつもりは小さい時は全くありませんでした。当然、長男が家業の昆布屋を引き継ぎ、僕はほかに仕事をして自立しなければならないとぼんやりと感じておりました。

 小さい時に僕が一番憧れていた職業は、中華料理のコックさんでした。猛烈に強い炎を操り、中華鍋と中華包丁、そして丸い分厚いまな板だけで、素晴らしい料理の数々をアッという間に作り上げていく姿を、真っ黒な顔で大きな目を見開いて、休みの日には一日中、羨望(せんぼう)のまなざしで見ていました。

 ところが兄が東京の大学に入ってしばらくたってから、「清光! 大切な話があるから真剣に聞いてくれ!」と、牛込柳町にあった3帖一間の兄の小さな下宿に呼ばれました。そのころ兄は、文化放送で放送作家のアルバイトをしていて、全く売れないフォーク歌手などと付き合い始めたころでした。

 その中の一人が「南こうせつ」さんで、2人はなぜか気が合ったようで数曲のフォークソングを作り始めていたそうです。そして最初の1曲がレコーディングされることが決まった時のことでした。「大事なことというのは、俺はこれから筆の道で生きていくから、大阪の昆布屋はお前が継いで両親を安心させてやってくれ!」でした。

 僕にとっては青天の霹靂(へきれき)でしたが、戦後ものすごい苦労をして僕たち兄弟を育ててくれた両親への恩返しだと思い、素直に首を縦に振りました。その後、兄は南こうせつさんと組んで「神田川」「妹」「赤ちょうちん」などのフォークソングを世に出し、大ヒット作詞家として本当に筆で生きています。去年までは日本作詞家協会の会長をしていました。

 そんな兄は大阪によく来るのですが、めったに実家には寄りません。普段は電話だけの連絡ですが、なぜか12月の一番忙しい時にフラッとやってきて「たこ焼き焼いてくれへんか?」と早朝、僕に言います。

 おいしいたこ焼き屋さんが東京にもたくさんあるはずなのに、なぜ、わざわざ素人の僕のたこ焼きを食べに来るのか聞いてみると、「お前のたこ焼きはな………やねん」。大阪のたこ焼きの秘密は、次回ゆっくり書きますね。

 (大阪市北区、きたじょう・きよみつ)



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