「パラリンピック」の起源となったのが、1948年7月にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた「ストーク・マンデビル競技大会」です。医師ルードヴィッヒ・グッドマン博士が病院内で、第2次世界大戦で脊髄を損傷した軍人へのリハビリの一環として開催したことがきっかけです。当時は車いす入院患者のアーチエリー競技が行われました。毎年大会が行われ、52年に「第一回ストーク・マンデビル競技大会」という国際大会へと進展、60年にグッドマン博士を会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が設立されます。この年に、オリンピック開催国であったローマで「第9回ストーク・マンデビル競技大会」が開かれ、後に第1回パラリンピックと呼ばれるようになります。
パラリンピックは64年の東京大会から愛称として使われました。英語で下半身麻痺(まひ)を意味するパラプレジアと、オリンピックを合成した造語としてパラリンピックと呼ばれるようになりました。85年に国際オリンピック委員会(IOC)によって正式名称として認められ、88年のソウル大会でパラリンピックが正式名称となりました。オリンピックと同一開催されることによって、英語で平行を意味するパラレルとオリンピックを足した、もう一つのオリンピックという意味として現在、皆が知っている「パラリンピック」として使われています。(パラスポーツ事典参考)
日本では「内容を知っている」(77・1%)「名称を見たり聞いたりしたことがある」(21・1%)を合計すると、98・2%の人がパラリンピックを知っていると回答。一方、中継を通じて観戦される競技は車いすバスケットなど一部に限られ、パラリンピック競技の半数以上(25競技中14競技)では、観戦経験のある人が1割未満にとどまっています。どの種類の障がい者が参加できるかについて正しい知識がある人は、国内では全体の0・5%で、過半数の人が聴覚障がい者に参加資格があると誤解するなど、正しい知識の普及には至っていません。(日本財団パラリンピック研究会 国内外一般社会でのパラリンピックに関する認知と関心 調査結果報告引用)
日本でパラリンピックが開催されるのは2回目です。大会を通して、パラリンピックの歴史と併せて開催国がどのように発展してきたのかなど、教育を含めて情報発信していくことが責務のように思います。コロナ禍により、開催の可否ややり方が議論されていますが、スポーツを通して、明るい未来を子どもたちに届けていただきたいと切に願います。
NPO法人アダプテッドスポーツ・サポートセンター(ASSC)では、子どもたちからパラスポーツ・パラアスリートの応援絵画を募集し、その絵画をトラックにラッピングして日本中に元気・勇気・希望、そしてやさしさを届けるプロジェクトを行っています。3月24日午後2時より、大阪市中央公会堂大集会室で「FUN FUN FUNプロジェクト2020−2021」のセレモニーがあります。子どもたちの応援絵画展示、表彰式、ラッピングトラック出発式、パラスポーツトークショーを行います。事前申込(http://www.assc.or.jpで受付)は必要ですが、どなたでもご参加いただけます。
東京パラリンピック応援と、コロナ禍で沈んでいる心を元気にしたい。そんな思いで、ASSCは今回のプロジェクトを始めました。子どもたちの躍動感あふれる絵画をぜひ、会場でご覧ください。
(大阪市天王寺区、さなだ・あきこ)
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