澪標 ―みおつくし―

積み重ねる生命の営みの「美しさ」

朴 守賢
作曲家
2021年3月29日

 「3・11」当時、私は台湾の高雄市で自作品が演奏される公演のリハーサルに参加していました。リハーサル後の楽屋に、主催者がPCで恐ろしい光景のニュース映像を流しながら知らせに来たことが最初の「震災体験」です。

 公演後、日本に戻った時にはもう数日前の日本ではなく、数日前の世界でもなくなっていました。人々の戸惑いから出遅れていること自体にも戸惑いを覚えながら、そのギャップを埋めようとしたのか、頭の整理ができないまま「何かしなければ」と体が動き、梅田で路上演奏をして被災支援の募金活動をしました。その時に演奏した岩手県出身の宮沢賢治『雨ニモマケズ』を歌詩とした自作曲は、後に『東日本大震災復興支援アルバム「道」』(アンドミュージック)に収録されました。

 私の創作テーマ「音楽=生命=時間」について、関連する自作品のエピソードを交えてお話する今コラムの3回目ですが、しかし、今回取り上げる作品はこの歌ではなく、私が震災後初めて作曲した作品《石積みの歌》(2011年作曲、CAFUAレコード)です。

 震災後、多くの方々がそうであったように、私もまた、苛(さいな)まれました。人と自然、生と死、音楽をすることの意味…。思いを巡らせるほどに打ちひしがれ、しばらく作曲ができなくなりました。この年の6月に新作を発表する予定で練っていた構想もあったのですが、美しいメロディーも凝った作曲技法も陳腐でうそ臭く感じ、破棄しました。

 しかし、どれだけ打ちひしがれて己や音楽の無力を感じても、私たちの明日は実は何も保証されていないという事実を最も残酷な形で突きつけられても、私たちは生きていくしかない。そのような世界を生きていくのです。ただ、生きていくのだ、と言っても、震災により命を落とされた方々、果てない生活上や精神面での悲痛を余儀なくされた方々を思うと、生命賛歌を書く気持ちにはなれませんでした。

 そんなある日、被災地で物資を受け取るためにきれいに列をなして並ぶ東北の方々の映像が目に映りました。その時、私は(もちろん、被災者の方々が言葉にできないほどの悲しみや苦しみを強いられながらその列に並ばれていることを承知の上で)ある種の「美しさ」を感じたのです。一つ一つ、生命の営みを積み重ねるだけ。自然、生と死、この世界の在り方を慎(つつ)ましく受け入れた現実の寡黙な生命活動を被災者の方々を通して再認識し、生命の儚(はかな)さと同時に力強さを感じ、追悼の灯火のように静かな美が私の中に深くともりました。

 その時、私は同じ東北地方の青森、恐山に伝わる石積みの行を想起しました。そうしてやがて、一つ一つ石を積む様に、再び音を書き積み始めました。

 また、「3・11」当時の台湾公演で自分自身が演奏していた「巴烏」(Bawu、バーウー)という中国雲南地方の横笛を、ピアノとのデュオとして編成に組み入れることで、自分自身の「震災体験」も投影しました。そうして出来上がった作品が《石積みの歌》です。大げさに言えば、私はこの作品のおかげで震災後の世界を受け入れ、再び音楽活動ができるようになりました。

 この音楽にドラマはありません。哀歌でも賛歌でもなく、自然と対峙(たいじ)、共存しながら生命のリズムと歌を奏でる音楽です。それでこそ、あれから10年の歳月が流れた今も、そしてこれからも、私は一日の日常を生きる度に人々に思いを寄せていくことができるのです。

 「只管(ひたすら)石を積む。やがて崩れることを恐れず、何を形成する事も目指さず、石を積む。それが生きることの、生きていることの、生きてきたことの証明のように。」(初演当時のプログラムより)

 (大阪市天王寺区、パク・スヒョン)



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