私は、自転車に乗って子どもたちを送迎できるようになっただけで、とても前向きな気持ちになりました。双子に公園へ行きたいとねだられても「ごめんね、連れて行ってあげられへんねん」と謝るしかなかったのが、「ほーら、来られたでしょ」と、子どもたちに自慢できたのが何よりもうれしかったのです。この喜びを、自転車の送迎を諦めていたママたちへ届けたい、共に喜びたいと強く思いました。
でも、中原製をつくってくれたリヤカー屋さんは去り、私はまた一人になりました。一人になるのは怖く、何かにすがりたい気持ちでしたが、自転車を必要としてくれるママがいるのを知っているから、そこで製品化をやめるという選択はありませんでした。まずは「こんな自転車があったらうれしいよね」と、必要としてくれるママたちの声を集めようと自費で試乗会を開催しました。すると、あちこちから自転車移動の悩みを持った双子ママパパが集まってくれたのです。
しかし、残念ながら協力会社は見つかりません。営業へ行っても、年間どれだけの需要が見込めるのか、数字を提示するように求められました。「あなたのビジネスモデルはなっていない」と厳しい指摘もありました。創業イベントなどにも出かけましたが、「そんな夢物語を言っていないで、双子の子育てをがんばったほうがいい」と諭されることもありました。
それでも「双子や年子でも乗れる新しい自転車をつくりたい。私たち双子母は、移動手段がなく困っているんだ」と、勇気を出して人が集まる場所に出かけて訴えました。自分にできることは何かも考え、自転車の道路交通法を必死で勉強しました。日本弁理士協会を訪ね、特許や意匠権の問題もクリアしました。この弁理士の先生は、私が試乗会をするたびに会場に来て力仕事から車体説明なども手伝ってくださり、とても心強かったです。
さすがに心が折れそうになった時もありましたが、なぜか私の目の前に子どもを乗せ自転車で一生懸命送迎するママが現れるのです。もう少し頑張ってみようと勇気をもらいました。協力者との出会いも大きかったです。大阪府よろず支援拠点の先生や、尼崎市の創業スクールでビジネスモデルキャンバスを伝える先生は、私が双子ママの外出困難を解決したいということを理解してくれ、頑張れと背中を押し続けてくれました。
そんな真っ暗なトンネルに光が見えたのです。東大阪市にあるチャイルドシートなどを手掛けるオージーケー技研の当時専務であった木村社長からお話をいただけたのです。夢のようで、子どもたちとハイタッチして喜んだのを覚えています。
そして、自分が大切に育ててきた「ふたごじてんしゃ」を本当に任せてよい会社かどうかを見極めようという気持ちで、初回面談に臨みました。初めて対面した木村さんの第一声は「中原さんのふたごじてんしゃを見た時、ママさんたちは何ておっしゃいますか?」という言葉でした。この自転車を待ち望む「ママの顔」を見ようとしてくれた人との出会いは初めてでした。この一言で私は木村さんとなら共に歩めると思いました。これが2015年の12月でした。
私は「株式会社ふたごじてんしゃ」を設立し、ニーズの顕在化と広報活動、および開発への助言、作り手と使い手をつなぐための「アセスメント販売」を開発しました。ふたごじてんしゃの開発には多くの困難が伴いましたが、多くの方に応援してもらいながら、ようやく18年に日本で初めての幼児二人同乗用三輪自転車「ふたごじてんしゃ」が誕生しました。
(兵庫県尼崎市、なかはら・みちこ)
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