澪標 ―みおつくし―

日本一を目指す“船出”

小林 英健
近畿医療専門学校理事長
2021年5月24日

 「高い技術を持つ柔道整復師、鍼灸(しんきゅう)師を育てる学校をつくりたい」。そう思った私ですが、学校はどうやってつくるのか、まったく分かりませんでした。

 そこで私は、大阪府の私学課に行って「学校をつくりたい」と話したところ、「それはやめてください。大阪には柔整師と鍼灸師の養成学校は既に12校もあり、少子化のために定員割れしている学校もあります。これ以上、学校は不要です」と言われました。それでも私が2度、3度と足を運んでいるうちに、担当の方も今の教育の現状が国家試験の合格率を競うばかりで、臨床技術を身に付けずに卒業してしまっていることが多いということに共感してくれました。その結果、条件さえ満たせば、申請を受け付けてくれることになりました。

 校舎は私が整骨院で買ったテナントビルを学校法人に寄付することでクリアしました。ビルの入居者の方々には立ち退き料に加えて家賃3カ月分を負担し、さらに、学校法人の認可条件に合わせるためには全階の廊下とエントランスホールの大規模な拡幅工事をしなければなりません。

 このような物理的な対応と同時に、私は文部科学省と学校法人の認可を受けるための交渉を続けていたのですが、その途中で、医療系の養成施設は、先に厚生労働省の認可が必要だと言われ、私は近畿厚生局に行きました。ところが厚生局では、先に文科省の認可が必要だと言われ、たらいまわしの状況になりました。

 時間がどんどん経過する中、開校を1年遅らせれば両省庁の認可を取ることができると説明されましたが、その時すでに来年度開校を前提に教員の手配をしていましたので、今更開校が1年も遅れるなどとは言えません。まさに、絶体絶命。追い詰められた私は、認可してもらうまで帰らないという姿勢で文科省に行きました。

 3時間くらい粘っていると、上司の課長が出てこられました。「最後に聞きますが、小林先生、どうしたいのですか?」と聞かれたので、「来年度の開校しかありません。何とかお願いします」と答えました。すると「文科省私学課の内規を変更するしかありません。検討してみます」。まさに「断じて行えば鬼神も之を避く」。思いが大きな岩を動かした瞬間でした。

 しかし喜びもつかの間、次は建築確認の問題が待っていました。建築士による耐震構造偽装問題が世間を騒がせていた頃で、その影響から調査が必要な物件が山積みで、建築確認が大幅に遅れていました。大阪市の建築課に行っても担当者は「順番にやっています」と言うだけ。私はそこで現状を力説しました。「来年開校できないと大変なことになるんです」。帰り際に担当の方は「善処します」と言ってくださいました。その1週間後、ついに認可が下りてようやく工事が始まりました。

 しかしそれは全館改装の大工事です。文科省、近畿厚生局の監査が来るまで1カ月半。万が一、監査を通らなければもう4月開校には間に合わない。この厳しい条件にどの工事業者も尻込みをし、「無理です」と取り合ってもらえない中、引き受けてくれた業者がありました。昼夜兼行の工事でこの綱渡り的なスケジュールをぎりぎりでクリアしてくれたのです。

 こうして2008年4月に近畿医療専門学校は元気な産声を上げました。難産の末の開校でした。少子化で定員割れしている学校が多数ある中で定員を満たしたことは、私学課の方も驚いておられました。このように大勢の人に助けられ、奇跡的に開校した近畿医療専門学校には大きな使命があるに違いありません。

 「人生100年」を迎える日本の社会に大きく貢献できる人材の育成。アスリートに寄り添いながらスポーツ界を支えるスポーツトレーナーと、真に痛みを取る高い技術を持つ柔整師、鍼灸師を世に満たすことで、助けてくださった人々への恩に報いたい。そんな思いを乗せて、日本一の専門学校を目指す「航海」がいよいよ始まりました。

 (大阪市北区、こばやし・ひでたけ)



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