澪標 ―みおつくし―

「コロナ禍」に未来を紡ぐ

朴 守賢 作曲家
2021年6月21日

 「何か大きな真理だとか真実、現実に直面した時、人は大きな衝撃と共に驚愕(きょうがく)や畏怖の念に慄(おのの)きます。私にとってそれは、たいていの場合ある種の美しさを伴います。」

 これは、私の吹奏楽作品《遥か天鵞絨(ビロード)》(2015年作曲、フォスターミュージック出版)の解説文冒頭の一節です。「大きな真理だとか真実、現実に直面」と聞いて、思い起こす事象は人それぞれだと思います。その事象によっては、美しさなんて感じる余裕もなく、生死に直結するようなこともあるかと思いますし、もしかすると、場合によってはそんな時に「美しさ」だなんて不謹慎に聞こえるかもしれません。しかし、今回はあえて「コロナ禍」という「現実に直面」している私たちの過ごし方のヒントになればと思い、このテーマで臨みます。

 私の創作テーマ「音楽=生命=時間」について、関連する自作品のエピソードを交えてお話する今コラムの第4回目、《遥か天鵞絨》の解説文の続きは以下の通りです。

 「それはあたかも、真紅のビロードのカーテンがこの世界を包み込みながら揺らめく中、その奥でビロードと一体になりながら人生を弄(もてあそ)ぶかのように舞う美女のようです。この作品は、例えばそのような美を想起して描きました。」

 ここで言わんとすることを簡潔にまとめると、「宇宙や世界に対する畏怖、美の想起」とも言えるでしょう。例えば、「コロナ禍」によってウイルスというミクロの世界からパンデミックという地球規模の世界まで思考の幅を伸ばし、その中心点に人(自分)を置いて眺めた時に世界と自分自身の関係を改めて認識することになります。

 コロナ禍での現実的苦悩はもちろんあるわけですが、そのような日常のスケールとはまた別の宇宙的なスケールで真実と対面した時に、その厳然とした実存に何かを感じることはありますでしょうか。それが私の場合は、「真紅のビロードのカーテンを揺らめかせながらほほ笑む美女」というイメージになるわけですが、その幾分文学的な表現とは裏腹に、美の性質としては、もしかすると真理を解き明かす一つの簡潔な数式を導き出した数学者が感じるそれに近いかもしれません。

 また、それは「何かを悟った」ということで見ると、人智を超越した領域にある美ということで「宗教的な美」ともつながるのかも知れません。どのような表現にせよ、私の感性ではやはり真理には美が伴うわけです。

 改めて「コロナ禍」の現実を大きなスケールで眺めてみましょう。限られた人生の中でパンデミックに直面することにより、私たちは生死をより間近に感じることになり、ウイルスとの共存を考え、過去から現在にかけて私たちの世界の在り方や生活を反省し、大小あらゆる局面でより良い未来を紡ごうとする契機になり得ているのではないでしょうか。

 結局は、無限に構築された宇宙の中で私たちは世界を紡いでいる、その時空間で生きていることへの賛美と言えるかもしれません。そのようにして、どのような世界でも何かしらの美しさを見いだすことができれば、私たちの魂はその美に駆られて動きだします。(大阪市天王寺区、パク・スヒョン)



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