澪標 ―みおつくし―

ゴールの見えないスタートを切ります

喜多條 清光
天満大阪昆布 主人
2021年9月27日

 早いもので、今回のコラムが最終回になります。去年の10月26日に初めて書かせていただいた頃には、最終回を掲載してもらう時には日常生活に戻っているものだと信じていましたが、現実は全く違う事態になっていますね。これから日本がどのような方向に進んでいくのか僕には分かりませんが、11月1日より大阪の昆布屋の意地をかけて再スタートを切ります。もちろん国と大阪府の方針をきっちりと守りながら、大切な日本の食文化を次世代に健全に伝えていくように全力で頑張ります。

 世界中の誰一人経験したことがない事態への対応について、批判することは誰でもできることですが、対案をはっきりと示さない限り、全く生産性のない批判だけに終わってしまうでしょうね。僕にできる事は、大好きな「昆布」と「天満」で実際に経験したことを記憶がまだしっかりしている間に後生に書き残し、2025年の2度目の大阪万博の時に世界中の人たちに「昆布」と「天満」の素晴らしさを伝える使命があると思っています。僕の年齢を考えるとゴール地点が見えてからスタートしたのでは間に合わないと思い、今は仕事の時間以外のすべてを、これまでの写真や資料の整理に費やしています。

 16歳から学生運動にのめり込み、国外追放のようにしてボストンで暮らした一年。大阪にはまっすぐ戻れずに東京で怪しげなセールスマン時代を経て、兄がまさかの作詞家になり家業の昆布屋を僕が継ぐことになりました。大阪に戻るなり会計事務所に勤めながら夜間経理学校に通い、20歳で結婚。2人の子宝に恵まれながらも週末は全国の麻雀(マージャン)大会に出場して2度のチャンピオンになった日々。薄給を補うために徹夜で競馬を研究し何とか生活を維持してきましたが、突然嫌になって30歳の誕生日をきっかけに一切のギャンブルをやめました。

 その代わりにお酒と北新地の魅力にどっぷりとはまり込みましたが、当時はバブル期で会社もさほど必死にならなくてもよかった時代でした。2年間は土曜、日曜、祝日に関係なく北新地に通い続けましたが、それもだんだん飽きてきて足が遠のき始めた時に、大好きな天満に戦後初めて落語定席小屋「天満天神繁昌亭」の話が持ち上がったのです。もともと演芸が大好きで僕自身も「昆布講談師」として舞台に上がったこともありましたので、そちらに没頭しました。

 天満天神繁昌亭ができる3年前から僕が席亭で、天満天神寄席を3回主催しました。最初は五代目桂文枝師匠、2回目が三代目桂春団治師匠、そして最終回は当時の桂三枝師匠が友情出演してくださり、定員200人の会場に300人以上詰め込んで、演者さんから「酸素不足で息ができないので扉を全開にしてください」と言われるほどだったにぎわいが、今の天満天神繁昌亭につながったとひそかに自負自慢しています。僕は毎日が極楽のような生活をしていましたが、支えてくれていた家内は大変だったと思います。

 そして還暦を迎えた60歳の誕生日に、大切な家業の昆布屋を一度も真剣にやっていないことにハッと気が付きました。その日をきっかけにお酒、芸事、海外旅行などの一切の趣味を封印して、僕を育ててくれた「昆布」と「天満」だけに残りの人生をかける事を決意しました。この2年足らずはコロナ禍で頓挫しかかっていましたが、11月1日より猛烈に再スタートしますので応援してくださいね!

 お酒、ギャンブル、北新地をやめたい人に極意を伝授します。「昆布が世界とあなたを救います」

 (大阪市北区、きたじょう・きよみつ)



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