お宝ウオッチング〜文化財をたずねて〜

 守られてきたのには理由(わけ)がある。何十年、何百年、千年の時を超え、今もそこにある文化財は、私たちに歴史の重みとこれからの道を照らしてくれるように感じる。だからこそ、改めて学んでいこうと思う。

適塾 (大阪市中央区北浜)

2020年7月9日

ビジネス街に建つ学問の礎

27畳の大部屋。塾生1人に一畳が与えられ、そのスペースで寝起きをした
土間と台所。左側に机といすはあるが、主に家族が使い、塾生は土間で立って食べた
大部屋の中央にある柱には、塾生が付けた刀傷が刻まれている

 スーツ姿の大人たちが行き交うビジネス街、北浜。ビルやマンションの影が伸びる間に、時が止まったように蘭学者で医師の緒方洪庵(こうあん)(1810〜63年)が開いた「適塾」が建つ。天然痘の予防治療に多大な功績を残した洪庵。新型コロナウイルスと対峙(たいじ)する2020年、洪庵と塾生が過ごした学びやを訪ねた。

 適塾は、福沢諭吉や大村益次郎ら幕末から明治維新まで日本の近代化を支えた人材を多く輩出。その暮らしぶりを諭吉は「福翁自伝」で、「このうえにしようもないほど勉強した」と記す。

◆ひたむきさを歌で

 玄関部屋から続く2間が塾生が学ぶ教室。その奥に中庭があり、外廊下を抜けると応接間、客座敷、洪庵の書斎や家族部屋がある。

 応接間には、洪庵の主著で病理学の総論である「病学通論」や「扶史経験遺訓」と並び、洪庵が幕府の医官になるため、大坂を去る際に残した和歌も展示されている。

 「とし毎に おひそふ野辺の 小松原 千代にしげれど うえもかさねん」

 洪庵は牛痘種痘所(大坂除痘館)を造り、天然痘の予防治療に奔走したが、当初は「接種したら牛になる」などデマが流れ、苦労も多かった。歌には、種痘事業への手応えとともに、ひたむきに努力を重ねる洪庵の姿勢が重なる。

◆一人一畳、柱の傷

 2階が塾生たちの生活の場。女中部屋の隣が蘭和辞書「ヅーフ」が置かれたヅーフ部屋とされる。

 適塾は、能力別に10クラスほどに分かれており完全能力主義。オランダ語の文法や文章論を学んだ後、原書を読み合わせする会読の結果で席次が決められていく。しかし、塾にはヅーフが一冊しかなく、塾生は毎晩ヅーフを奪い合うように勉強し、部屋の明かりが消えたことはなかったと伝わる。

 続く27畳の大部屋で塾生が寝起きをしたが、与えられたのは一人一畳のスペースのみ。日当たりの良い場所は成績順に埋まっていく。諭吉は、布団を敷くこともなく机につっぷして寝ていたそうだ。

 勉強漬けの適塾だが、洪庵は塾生の私生活までは厳しく口出しはしなかった。それゆえに飲酒や遊びは自由。大部屋の真ん中の柱には、討論や日頃のうっぷんを晴らした刀傷がびっしりと刻まれ、崇高な志士が少し身近に感じられた。

 現在、適塾はその教育を受け継いだ大阪大が管理する。「文化財としての歴史を守るとともに、知識こそ力ということを伝える場所になれば」と、大阪大適塾記念センターの松永和浩准教授。200年の時を経て、静けさの中にも血気盛んに学んだ志士たちの息遣いが聞こえるようだった。

【適塾】 蘭学者で医師の緒方洪庵が1838年に開塾。45年に現在の場所に移転した。建物は1792年船場の大火以降の建築とされる。1964年に国の重要文化財に指定。76〜80年にかけて文化庁による解体修復工事が行われた。


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