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橋懸かりの欄干は西本願寺の北舞台を模した能舞台。圧倒的な存在感で客席に迫る |
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鏡板の老松。下から見上げる構図は全国でも珍しい |
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舞台裏の2階は舞台道具の保管場所。道具は竹と布で作られており、一部は1階からのぞき見ることができる |
山本能楽堂は、今年で創設94年。第2次世界大戦の戦火を経て再建されてからは71年を迎える。オフィス街の大阪市中央区谷町4丁目で、静かに伝統芸能のともしびを守り続けてきた。せわしなく人や車が行き交う中、うっかり通り過ごしてしまいそうな木造3階建てに一歩足を踏む込めば、鎮座する能舞台の迫力と品格に圧倒される。
山本能楽堂は、山本家十代目の故・山本博之氏が1927(昭和2)年に創設。当時は、「大大阪」と呼ばれた華やかな時代。紳士淑女がステータスの一つとして能をたしなんでおり、能楽堂も多くの人でにぎわった。
しかし、45年3月の大阪空襲で全てを焼失。街は焦土と化す中、船場の旦那衆や市民の後押しもあり、終戦から5年後に再建された。
元々、能舞台とは屋外に設置されたものであり、現在のように建物の中に収められ「能楽堂」となったのは明治期以降。客席に入ると、天井すれすれの屋根と本舞台の迫力に目を奪われる。おからのとぎ汁、現代は豆乳を薄めて磨き上げられた床板や柱が艶やかな黒光りをまとう。
能舞台を象徴する鏡板の「老松」を手掛けたのは、能画の第一人者の故・松野奏風氏。この「老松」だが、松野氏が作業する時には既に鏡板がはめ込まれており、立って描いたため、下から見上げたような構図で、ほかとは少し違うという。
そして、山本能楽堂の最大の見どころは床下。音響効果を良くするため、大きな「かめ」が12個並べられている。現在の新しい舞台は鉄筋コンクリート造りのため、「かめ」が埋められているのは非常に珍しい。床下をのぞくと、石が転がる地面に置かれた「かめ」とひんやりとした空気が、年月の重みを感じさせる。
2007年に国登録有形文化財に登録されたのを機に、11年から4年の歳月を掛けて大規模改修を実施。耐震補強を中心に、桟敷の客席は一新して床暖房を入れ、トイレを増設するなどした。また、舞台照明は発光ダイオード(LED)にし、1670万色の色彩を表現する。
コンセプトは「開かれた能楽堂」。落語や講談などの上方伝統芸能が一堂に会する「初心者のための上方伝統芸能ナイト」のほか、子ども向けや初心者向けの体験イベント、多言語対応のアプリ開発にも積極的に取り組む。
同能楽堂の山本佳誌枝事務局長は「地域の人に守られ、育ててもらい、愛してもらったからこそ能楽堂が残ってきた。地域のランドマークとして、皆さんに『入ってみたい』と思われるような場所になっていきたい」と話す。
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