お宝ウオッチング〜文化財をたずねて〜

 守られてきたのには理由(わけ)がある。何十年、何百年、千年の時を超え、今もそこにある文化財は、私たちに歴史の重みとこれからの道を照らしてくれるように感じる。だからこそ、改めて学んでいこうと思う。

御幸森天神宮 (大阪市生野区)

2021年3月11日

共生の地に建つ近代社殿

本殿・幣殿・拝殿・透塀が国の登録有形文化財になった御幸森天神宮
多くの人でにぎわうコリアタウン
王仁博士が詠んだ歌の歌碑。日本と韓国・朝鮮との友好、共生を願い2009年10月に地元有志により建立された

 日本最大規模を誇る大阪市生野区のコリアタウン。キムチをはじめとした韓国食材、コスメなどを扱う店が約500メートルにわたって連なる西側の入り口に位置するのが「御幸森天神宮」だ。樹齢300年を超えるムクの大木が、朝鮮半島と深くつながりながら歩んできた「共生」の地を見守る。

 明治末期以降、労働力として多くの朝鮮人が移り住み現在に至るが、この地と朝鮮半島との結びつきは、同宮が創建された約1600年前にさかのぼる。

 そのヒントが境内の歌碑にあった。「難波津に 咲くやこの花 冬籠(ごも)り 今は春べと 咲くやこの花」。百済(くだら)からの渡来人・王仁(わに)博士が仁徳天皇の即位を祝い、詠んだと伝えられる。

 日本に先進文化を伝えた百済人は同地に集落を作り、豚(イノシシ)を飼育していたのが、1973年に消滅した旧町名の「猪飼野」の由来。仁徳天皇は趣味の鷹狩りや百済人と交流するためにしばしば行幸(御幸)し、“御幸の森”と称された。天皇崩御後の406年、人々は天皇のご神霊を祭ったことが神社の始まりとされている。

◆格調高き社殿

 境内で国登録有形文化財に指定されているのは、本殿・幣殿・拝殿・透塀。

 現在の社殿は人間国宝の故吉田種次郎が設計し、1930年に再建。本殿と拝殿の間に幣殿を接続した権現造で、拝殿後方の三方に透塀を巡らした。

 拝殿は緩やかな唐破風の向拝を備え、内部は一般的な2間より大きい3間。本殿は高い石垣の上に建ち、透塀から仰ぎ見ることを狙ったとされ、素木の端正な美しさが際立つ。

 境内に目を向ければ、仁徳天皇が休憩したという腰掛石が祭られている遥拝所、大坂城代の松平忠明が平野川の船の安全運行のために寄進し、唯一現存する灯明台がある。

◆みんなが氏子

 コリアタウンが完成したのが93年。2002年のサッカー日韓W杯や、その後の“韓流ブーム”で観光地として注目を浴び、現在も平日の昼間から多くの人が訪れる。一方、日本と韓国、北朝鮮は政治的対立を繰り返し、関係はかつてないほど冷え込む。

 「昔は“共生”なんて言わなかった。今はわざわざ言葉にしなきゃいけない」。森田真臣宮司(79)はさみしげに笑う。「韓国朝鮮人も日本人もみんな同じく氏子。仲良く平穏な生活を送ってもらいたい」−。静かにたたずむ社殿、深く根を張るムクノキが歴史の重みと尊さを伝えている。

 御幸森天神宮 406年創建。仁徳天皇、少彦名命(すくなひこなのみこと)、忍坂彦命(おしさかひこのみこと)を祭る。2000年に本殿・幣殿・拝殿・透塀が国の登録有形文化財に指定された。大阪市生野区桃谷3の10の5。


サイト内検索