お宝ウオッチング〜文化財をたずねて〜

 守られてきたのには理由(わけ)がある。何十年、何百年、千年の時を超え、今もそこにある文化財は、私たちに歴史の重みとこれからの道を照らしてくれるように感じる。だからこそ、改めて学んでいこうと思う。

大念仏寺 (大阪市平野区)

2021年6月10日

地域住民の心のよりどころ

広い本堂の中にはきらびやかな本尊のほか、法要で使う大きな数珠や菩薩像の絵などが飾られている
大阪府内最大の木造建築物である本堂。境内には近くの幼稚園児らが集う
寺宝の一つ「毛詩鄭箋残巻」。国宝にも指定された貴重な文化財

 大阪市の南東部に位置する平野区。古くからの家並みが残る平野郷の中に大念仏寺はたたずむ。正式には「大源山諸仏護念院大念仏寺」。平安末期に開かれた融通念仏宗の総本山で、日本最初の念仏道場でもある。地域の人からは「大念仏さん」と親しまれ、心のよりどころとなっている。

 

◆900年の歴史

 融通念仏宗は、良忍上人(1073〜1132年)が興した教え。念仏を通して一人が多人数に、多人数が一人に功徳を融通するところから名付けられた。阿弥陀(あみだ)仏と人が、現世を喜びあふれる場所にすることを目的としている。

 大念仏寺が建てられたのは1117(永久5)年。良忍上人が四天王寺に参拝した折、聖徳太子からお告げを受け、平野で念仏会を開いたことがきっかけだった。廃寺の一角に道場を開き、以来、約900年にわたり、教えを守っている。

 長い歴史の中で、多くの文化財が寺宝として納められており、中でも「毛詩鄭箋残巻(もうしていせんざんかん)」は、国宝に指定されている。毛詩とは中国最古の詩集である詩経のこと。鄭玄之(ていげんし)がつけた注釈「鄭箋」があり、風・雅・頌の三部のうち風の一部という。

 「浄土論」や世界に28本しか存在していない「融通念仏縁起二巻」と、国の重要文化財に指定されている品を所蔵している。

 

◆過去と未来が交錯

 境内に入る前に見えてくるのが山門だ。高さ3・6メートルの木造製で上部の「大源山」の文字は霊元天皇の皇女、宝鏡寺宮徳厳尼の親筆。江戸時代初期の建造で、大阪市指定有形文化財になっている。

 山門をくぐり、境内に入ると本堂が目の前に広がる。東西約50メートル、南北約40メートルで府内最大の木造建築物。総ケヤキ造りで銅板葺(ぶ)きの緑の屋根が美しい。

 現在の本堂は、1938(昭和13)年に再建された。建築中は地元住民が総出で土地をならし、部材を運んだと伝えられている。山門同様、市指定有形文化財になっている。

 本堂の中に入ると本尊である阿弥陀如来を囲むように、壁の三面には近隣に住む画家から寄贈された地蔵菩薩(ぼさつ)と、観世音菩薩など二十五菩薩の絵。格天井の下には巨大な数珠が飾られている。

 数珠は年に3回、執り行われる「百万遍会数珠くり」用のもの。二十五菩薩などの絵は、5月に行われる「万部おねり」に由来している。ともに同寺の重要行事で、今は新型コロナウイルスの影響で中止もしくは規模を縮小しているが、例年は多くの参拝者でにぎわう。

 そのほか、行基上人作と伝えられる毘沙(びしゃ)門天をまつる毘沙門堂や、古河藩陣屋門として使われ移築された南門など古い建築物が並ぶ。一方、境内には近くの幼稚園児の声も響く。過去と未来が交差する貴重な場所となっている。



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