戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(6)

2020年5月15日

大阪護国神社(大阪市住之江区)

 日中戦争を背景に戦没者を恒久的に慰霊する機運が高まり、1940年に内務大臣指定の護国神社として創建された。現在の社殿は63年創建。正面鳥居は「大阪府では最大」。境内にはさまざまな郷土部隊の慰霊碑が並ぶ。


甦龍の楠(大阪市西区)

 禅宗の一派である黄檗宗(おうばくしゅう)の寺、九島院のクスノキ。1945年6月の空襲の被害からよみがえったといわれる。石碑には「空襲の痕跡を後世に伝え再び戦争の惨禍が無きよう祈念する」と刻まれている。


南加賀屋の防空壕跡(大阪市住之江区)

 住宅街の中に、突如現われるひときわ低い屋根。終戦近くに作られた半地下式、鉄筋コンクリート製の防空壕(ごう)で、どっしりとしたたたずまいは今も変わらない。現在は所有者の物置として活用されている。


十二神社の防空壕跡(池田市)

 太平洋戦争中は軍用飛行場だった大阪空港の近くにある十二神社には、防空壕(ごう)跡が残されている。池田市の碑文によると、住民らが1943年に作ったもので、長さ約10メートル、幅3〜4メートル、高さ2メートルのコンクリート製。現在、内部は危険防止のため埋められている。



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