戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(7)

2020年5月18日

大阪砲兵工廠化学分析場跡(大阪市中央区)

 旧鳥取県立図書館や宮崎県庁舎などを手掛けた置塩章氏(1881〜1968年)の設計で1919(大正8)年に建設。赤れんが2階建(一部地下1階)で、64〜94年までは自衛隊大阪地方連絡部(現・地方協力本部)庁舎として利用された。


大阪砲兵工廠荷揚げ門(大阪市中央区)

 砲兵工廠(しょう)初期の遺構。アーチ型水門は水運の名残で、大阪城ホールの北西、第二寝屋川に面した位置にひっそりと残る。天井部分には2基の滑車が確認できる。


大阪砲兵工廠正門跡(大阪市中央区)

 大阪城北外堀西端付近に石組みとれんが塀が残る。元は徳川大坂城の北外曲輪(きたのそとくるわ)西側入口に築かれた「筋金門」跡で、東洋一の軍需工場・大阪砲兵工廠(しょう)(陸軍大阪造兵廠)の門としても機能した。


大阪砲兵工廠守衛詰所跡(大阪市中央区)

 化学分析場跡の向かいに現存。建物は過去に一部改修され、大阪城公園の倉庫などにも使われていたが、近年は赤れんがの崩落箇所も見られるなど劣化が著しい。



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