戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(11)

2020年5月28日

城北公園の千人塚 (大阪市旭区)

 1945年6月7日の第3次大阪大空襲で、城北公園一帯は火の海と化した。命を落とした身元不明者らは千人を超えるといわれる。公園内の堤防に犠牲者を弔う石碑が建てられ、住民有志が空襲の日に合わせ慰霊法要を執り行っている。


駒つなぎの楠 (大阪市都島区)

 都島区は1945年6月の空襲で大きな被害を受けた。桜宮神社の御旅所にあるクスノキの巨木も戦災に遭い、今は枯れた状態で残る。区の案内板によると「駒つなぎ」は、平安時代にこの地の管理を任されていた渡辺綱が神社に詣でる時、いつも馬をこのクスノキにつないでいたためだと伝わる。


内代公園の「祈平和」碑 (大阪市都島区)

 1945年6月7日の空襲は、旭区や都島区、東淀川区など大阪市北部を襲った。内代公園に立つ碑文によると内代町も一瞬にして火に包まれ、「老若男女、幼児に至る六十有余名」が犠牲になった。


旧長柄橋の弾痕 (大阪市北区)

 1945年6月7日の第3次大阪大空襲で、米軍機の銃爆撃によって橋の下や河川敷に避難した数百人が犠牲となったとされる。橋は橋脚に無数の弾痕を残したまま戦後も往来を支え、83年に架け替えられた。現在の長柄橋南詰めの慰霊観音像の傍らに、切り出した旧橋脚の一部が保存されている。



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