戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(13)

2020年6月2日


戦災無縁地蔵(堺市堺区)

 「堺大空襲」と呼ばれる1945年7月10日未明の空襲で凄惨(せいさん)を極めた地域にあたり、戦後まもなく地元有志らにより供養が始まった。銘板によると、54年に保存会により地蔵尊が建立された。


ギャラリーいろはにの防空壕(堺市堺区)

 山之口商店街にある「ギャラリーいろはに」に残る防空壕。1944年に作られ、幅150センチ、奥行き400センチ、深さ160センチ。現在は画材などを収納、アーティストの展示スペースとしても活用される。



堺市戦災殉難之地碑(堺市堺区)

 堺市は、1945年7月10日未明の空襲で多くの市民が犠牲になった。南海堺駅南側の川には旧路線の鉄橋橋脚が残り、被災40年にあたり世界平和を記念してできた碑が立つ。碑には詩人、坂村真民の「念ずれば花ひらく」が刻まれている。


神明神社(堺市堺区)

 天照大御神をはじめ計16柱を合祀(ごうし)し、「堺のお伊勢さん」として親しまれる。同市の案内板によると、太平洋戦争中は出征兵士を見送る家族との別れの場ともなったが、1945年の空襲で境内の建物はほぼ焼失。「奉納 帝国公債−」と刻まれた石玉垣などが残る。



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