戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(14)

2020年6月4日

飛行第246戦隊戦闘指揮所跡(八尾市)

 現・陸上自衛隊八尾駐屯地広報展示室。戦時中、大正陸軍飛行場に所在し京阪神の防空任務に当たった航空隊の遺構で、戦後は管制塔としても活用された。1975年に展示室に改修され、旧陸海軍や自衛隊関連の各種史料を展示。記念行事などに合わせて一般公開している。(写真・八尾駐屯地広報班提供)


柴島浄水場壁面の弾痕(大阪市東淀川区)

 1945年6月7日の第3次大阪大空襲で飛来した米戦闘機が低空で機銃掃射を繰り返したため、壁面は約50メートルにわたり被弾。現在、弾痕が残る壁面の一部が現地保存されており、空襲の恐ろしさを後世に伝えている。


上之宮八坂神社の八垂銀杏樹(大阪市大正区)

 木津川の開削に貢献した木津(中村)勘助の勧請といわれる八坂神社。境内には勘助が植樹したといわれる樹齢300年以上のイチョウがあったが、戦災で“形見”となって今に残り、根本からは若木が成長。神木として崇敬されている。


大阪航空廠格納庫跡(大阪市平野区)

 大阪航空廠(しょう)は戦時中、現在の八尾空港一帯にあった大正陸軍飛行場の西側に隣接し航空機の整備などを行った。大阪メトロ谷町線八尾南駅北側の八尾・大阪両市にまたがる広大な国有地は1980年代まで空港の駐機場として使われていた名残で、大阪市側の一画にコンクリートの重厚な格納庫の躯体(くたい)が残る。



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