戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(17)

2020年6月18日

天保山公園にある明治天皇観艦之所碑(大阪市港区)

 1868(明治元)年3月、明治天皇が大阪に行幸し、天保山に登って各藩の軍艦を確認。これが日本で最初の観艦式になった。公園側は背面で、正面は海側を向いている。


中村中尉鎮魂碑(大阪府交野市)

 1945年7月9日、交野市の上空で米軍機との空中戦の末、陸軍の中村純一中尉が操縦する戦闘機が墜落した。中村中尉はパラシュートで降下中、米軍機に翼でロープを切られ、墜落して命を失った。現場近くのJR星田駅北側には中村中尉をしのぶ碑が立つ。


戦艦陸奥主砲抑気具記念碑(大阪市浪速区)

 難波八阪神社境内に建立。戦艦長門の同型艦で、完成当時は口径40ミリの大型主砲を備えた世界7大戦艦として知られたが、1943年6月、瀬戸内海の桂島沖で停泊中に謎の爆発を起こして沈没した。抑気具は主砲の砲口用のふたで70年に海底から引き上げられた。関連業者を通じて入手した氏子が、千人を超す犠牲者の慰霊と恒久平和の願いを込めて99年に碑を建立した。


墜落した戦闘機「飛燕」(大阪府交野市)

 旧日本陸軍の戦闘機「飛燕」のエンジンやプロペラ、機関銃などがいきいきランド交野で展示されている。2005年3月、国道工事の作業員が同市の地下で発見した。1945年に米軍機と戦い、墜落した中村純一中尉の戦闘機といわれる。



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