戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(18)

2020年6月22日

淀川河川敷の爆弾池(大阪市東淀川区)

 1945年6月7日、400機を超える米軍の爆撃機B29が大阪市北部に来襲。東淀川区や旭区、都島区などで多くの住民が犠牲となった。淀川河川敷には、爆弾が落ちた跡といわれる“爆弾池”が残る。



大宮の延命地蔵尊(大阪市旭区)

 千林商店街近くの大宮地区。1945年6月7日の空襲による犠牲者を供養するために、地元有志が建てたといわれる。



堂島大橋(大阪市北区、福島区)

  あみだ池筋の堂島川に架かる橋で、1927年に現在の橋に架け替えられた(2017〜20年に長寿命化対策)。第2次世界大戦中、一帯は空襲に遭い、親柱にはその痕跡が残る。橋飾塔にはブロンズメタルが取り付けられていたが、戦時中に供出されたといわれる。


天保山公園にある獣魂碑(大阪市港区)

 築港地域には陸軍の食料などを補給、製造する大阪糧秣支廠(りょうまつししょう)があった。碑は、軍用動物の供養のため1942年に建立。「大阪陸軍糧秣支廠長−」の文字が分かる。



サイト内検索