戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(20)

2020年7月12日

港区戦災死者有縁無縁精霊碑(大阪市港区)

 港区の弁天地区には、1945年3月13日と6月1日の空襲で亡くなった市民らを弔う碑が立つ。書は第10代、12代市長を務めた中井光次。碑文では「大空襲により郷土防衛の朋友二千五百有余の命を奪う」と伝えている。



天下茶屋跡(大阪市西成区)

 豊臣秀吉が大坂城から住吉大社参拝や堺へ行き来する途中に立ち寄り、茶の湯を楽しんだ茶屋の跡。広大な屋敷や秀吉が「恵の水」と名づけた泉、茶室などが残っていたが、1945年の空襲で焼失。現在は広場として整備され、土蔵やクスノキが「往時をしのぶもの」。



猛火を退けた波切不動尊 (大阪市西成区)

 西成区は、1945年3月の空襲などで多くの建物が焼失した。聖天下地域の西宝寺にある波切不動尊は、空襲で周囲の家屋などが燃える中、「猛火を退け」難を逃れたといわれる。堂は再建され、当時の棟木が記念として残る。


高台小学校跡碑(大阪市西区)

 南堀江地区にある堀江中学校の北東端に立つ。碑文によると小学校は1945年3月13日夜の空襲で消失し、校区内の多くの命が失われた。「御霊が安らかに眠られんことを祈念いたします」。



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