戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(21)

2020年7月19日

JR東海道線ガード下の弾痕(大阪市福島区)

 同区鷺洲(さぎす)5丁目の薄暗いガード下のコンクリート壁面に150発を超える弾痕が刻まれている。区発行の冊子「わがまち福島区」によると、1945年6月の空襲で大阪に飛来した米軍機の機銃掃射の弾痕とされる。


御霊神社「肌守りの木」(大阪市中央区)

 本殿そばに茂る御神木のクスノキ。戦時中、本殿や境内一帯は大阪大空襲で焼失したが、唯一、クスノキが焦げた状態から力強く再生した。当時お参りした人のやけどが回復したという言い伝えもあり、以来、美肌の救世主「肌守りの木」と呼ばれ、都心の聖地を訪れる人々の信仰心があつい。


大阪市立美術館(大阪市天王寺区)

 1936年5月に開館。太平洋戦争中は陸軍が接収した。45年4月に中部軍管区第2高射集団を基幹に編成された高射第3師団の司令部が置かれ阪神地区の防空にあたった。終戦後は連合国軍が接収、47年に解除された。


真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)

 1871(明治4)年に設置された日本最初の陸軍墓地で、個人墓碑や合葬碑など5千基を超える墓碑のほか納骨堂が現存。兵士以外にも軍役夫や捕虜となって病死したドイツ兵、清国兵の墓碑も残る。



サイト内検索