戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(22)

2020年7月26日

鶉野飛行場滑走路跡(兵庫県加西市)

 太平洋戦中に姫路海軍航空隊の拠点となり、全国から集まった練習生らが訓練を積んだ。戦後、飛行場跡地は田畑などになり、1200メートルのコンクリート滑走路跡が残った。散策道が整備され、周辺には防空壕(ごう)などが点在する。(写真提供:加西市)


戦闘機「紫電改」の実物大模型 (兵庫県加西市)

 第2次大戦末期、鶉野地域にあった川西航空機姫路製作所では旧日本海軍が投入した紫電改を生産していた。現在、滑走路跡には格納庫を模した備蓄倉庫があり、実物大模型を毎月第1、第3日曜日に公開している(天候により屋内展示となる場合あり)。(写真提供:加西市)


鶉野平和祈念の碑(兵庫県加西市)

 姫路海軍航空隊につくられた特別攻撃隊(特攻隊)「白鷺隊(はくろたい)」で生き残った元隊員や遺族、地元有志らが1999年に滑走路跡そばに建立。碑によると鶉野を離れた特攻隊は鹿児島県・串良基地から5回にわたり出撃し、計21機、63人が沖縄の空に散ったという。



門柱・衛兵詰め所跡(兵庫県加西市)

 姫路海軍航空隊への入り口部分には、門柱や衛兵詰め所、面会所が設けられていた。北条鉄道・法華口駅から約1キロ、それらがあった付近には現在、門柱の基礎部分を展示、詰め所をイメージした休憩所が整備されている。



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