戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(24)

2020年8月9日

西六平和塔(大阪市西区)

 旧西六(さいろく)町会連合会、西六連合会が1958年に地元の光禅寺境内に建立し、現在は阪神高速1号環状線下(西横堀川跡)にある新町橋顕彰碑の横に移設。地元の戦死者や空襲犠牲者の冥福と世界恒久平和を祈念している。


皇紀二千六百年記念碑(大阪市中央区)

 1940年の神武天皇即位紀元2600年を記念し建立。道頓堀川に架かる日本橋北詰東で道頓堀開削を顕彰する「安井道頓安井道卜紀功碑」とともにたたずむ。揮毫(きごう)は当時の坂間棟治大阪市長(任期36年7月〜45年8月)によるもの。


西六小学校顕彰碑(大阪市西区)

 長堀通に面した新町地区の一角に立つ。1945年3月13日の空襲で鉄筋校舎および木造校舎は全焼、戦後に廃校となり復興はかなわなかった。碑には「悲惨な戦争を繰り返さない平和な世界であり続ける努力を貫く」という関係者らの願いが込められている。



和光寺(大阪市西区)

 大阪には1945年3〜8月、米軍爆撃機B29の100機以上による大空襲が8回あった。3月13日深夜〜14日未明の第1次では、300機近くの爆撃機が襲来し、大阪市の中心部を焼き尽くした。和光寺の境内では引き取り手のない遺体約150体が埋葬された。和光地蔵尊前には、冥福を祈念した碑が立つ。



サイト内検索