戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(25)

2020年9月3日


生玉公園地下壕 (大阪市天王寺区)

 公園が完成した1942年以降に大阪市の都市防空壕(ごう)として構築。幅約9メートル、高さ約6.5メートル、奥行き約24メートルのアーチ状コンクリート造で、戦争末期は陸軍が利用した。壕の入り口は封鎖され、地上部に残る筒状の通気口もふさがれている。



大村益次郎殉難碑(大阪市中央区)

 兵部省大輔(たいふ)で日本の陸軍の基礎を築いた大村益次郎(1824〜69年)は京都で刺客に襲われ、入院先の大阪の病院で死亡。碑は1941年、病院があった場所に建てられ、発起人・賛同者として多くの著名な財界人や軍人の名前が刻まれている。


三光神社鳥居(大阪市天王寺区)

 神社周辺は信州上田の武将真田幸村の出城「真田丸」があった歴史の舞台として知られる。1945年6月1日の第2次大阪大空襲で社殿など各種建物が被災。大鳥居も破壊され片柱と一部が残る惨状となった。戦後、奉賛会によって新たな鳥居が建立されたが、被災鳥居は世界平和と国家安泰を願ってそのままの姿で保存されている。


陸軍歩兵第八連隊跡碑(大阪市中央区)

 連隊は1874年に創設され西南の役や日清・日露戦争、太平洋戦争まで多くの戦いに参加。碑は連隊跡地である難波宮跡公園の上町筋側の一画にたたずむ。揮毫(きごう)は大阪市の中馬馨市長(1904〜71年)による。



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