戦跡を巡る 戦渦を超えて75年

 今年は戦後75年の節目。戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を超えて75年(26)

2021年1月24日


野田沼捕虜収容所跡(滋賀県野洲市)

 大阪俘虜(ふりょ)収容所第23分所として琵琶湖岸にある野田沼南西岸に設置。インドネシア出身のオランダ兵など200人が収容され、堤防築造などの工事に従事した。現在、捕虜収容所跡は墓地となり、その一角に当時の井戸がある。また、墓地の北西の川沿いにも捕虜たちが設置した排水ポンプが残る。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)


八王子神社御旅所の忠魂碑(大阪市東成区)

 日露戦役30周年記念として1935(昭和10)年11月に建立。碑文によると同地域は戸数が少なく長年、碑が建設できなかったが、30年がたった後に実現したという。



布引掩体群(滋賀県東近江市)

 米軍からの空襲に備えて八日市飛行場の飛行機などを待避させるため、1944〜45年の戦争末期に本土決戦に備えて造られた。コンクリート製のドーム型の屋根を持つ未完成の4号掩体、7号掩体など東西約2キロの範囲に17基の掩体が残る。滋賀県内で唯一、その形をとどめている。(協力、写真提供=滋賀県平和祈念館)


深江稲荷神社の「日露戦役紀念碑」(大阪市東成区)

 地元有志によって1906(明治39)年5月に建立。隣接する深江郷土資料館では「深江の菅(すげ)細工」(市指定無形文化財)や人間国宝の故角谷一圭さんの茶器などを展示している。



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