大阪俘虜(ふりょ)収容所第23分所として琵琶湖岸にある野田沼南西岸に設置。インドネシア出身のオランダ兵など200人が収容され、堤防築造などの工事に従事した。現在、捕虜収容所跡は墓地となり、その一角に当時の井戸がある。また、墓地の北西の川沿いにも捕虜たちが設置した排水ポンプが残る。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)
日露戦役30周年記念として1935(昭和10)年11月に建立。碑文によると同地域は戸数が少なく長年、碑が建設できなかったが、30年がたった後に実現したという。
米軍からの空襲に備えて八日市飛行場の飛行機などを待避させるため、1944〜45年の戦争末期に本土決戦に備えて造られた。コンクリート製のドーム型の屋根を持つ未完成の4号掩体、7号掩体など東西約2キロの範囲に17基の掩体が残る。滋賀県内で唯一、その形をとどめている。(協力、写真提供=滋賀県平和祈念館)
地元有志によって1906(明治39)年5月に建立。隣接する深江郷土資料館では「深江の菅(すげ)細工」(市指定無形文化財)や人間国宝の故角谷一圭さんの茶器などを展示している。
1 | 鶴見緑地プール 屋外ゾーンオープン |
2 | 宝恵駕籠パレード復活 疫病退散、世界平和祈る |
3 | 飲食業界に本格進出 東大阪の「東京大阪バスグループ」 |
4 | 十割そばのランチセット980円! 夜は本格会席料理 |
5 | 大阪選挙区18人出馬へ 参院選 あす公示 |