戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(27)

2021年1月31日

熊野大神宮の「明治三十七八年戦役紀念」碑(大阪市東成区)

 聖徳太子の関わりが伝えられる歴史ある熊野大神宮の境内に立つ。『兵士の碑』(森田敏彦著、清風堂書店)によると1910年7月、神路村の有志によって建てられ、村長らの名前が刻まれていることから、村を挙げての建設とうかがい知れる。


法明寺の鐘楼(大阪市東成区)

 鐘楼は1718年に建造されたが、太平洋戦争中の金属供出で失われた。1980年、「善導大師1300年の遠忌」を記念して再鋳が実現。天女の文様は、人間国宝の故角谷一圭さんによるもの。



滑走台(手前)とコンクリート製桟橋(奥)

大津海軍航空隊の滑走台と格納庫(滋賀県大津市)

 大津海軍航空隊は水上飛行機を運用する教育部隊であり、滑走路の代わりに琵琶湖を使って飛行機の発着訓練を行った。陸上自衛隊大津駐屯地内には水上機格納庫や飛行機を琵琶湖へ降ろすために使った滑走台やコンクリート製桟橋などが残る。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)



八日市飛行場跡(滋賀県東近江市)

 陸軍八日市飛行場は1922(大正11)年に開設。飛行第三連隊や第四教育飛行隊などの駐屯基地として使われ、戦争末期には、沖縄や九州へ向かう中継地として多くの特攻機が立ち寄った。沖原神社に移設された飛行場営門の門柱や離陸する飛行機の駐機場所であった戦闘準備線のコンクリート舗装などが当時の様子を伝える。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)



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