戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(28)

2021年2月7日

日露戦争大阪天下茶屋俘虜収容所跡地(大阪市西成区)

 大阪メトロ堺筋線・天下茶屋駅前。地元医師の故加納治男さんが私費を投じて2013年4月に建立した。碑文によると同駅付近に日露戦争の「俘虜(ふりょ)収容所」が建てられ、1905(明治38)年から約1年でロシア兵ら6062人を収容。バーグ条約の規定を守り、手厚く取り扱った。収容所閉鎖後、09年に陸軍省から元の地主に土地が返還され宅地化が進んだ。


綱敷天神社の「従軍紀念碑」(大阪市北区)

 日清戦争への出征者の名を刻み、北野村有志によって建立。太平洋戦争後に処分することになったが、地中に埋め、その後掘り起こし、「記名諸氏の冥福を祈念」して建て直された。


旧柏原村穀物倉庫(滋賀県米原市)

 米原市大野木にあり、戦時中、空襲の目標とならないように黒く塗られた姿をとどめる。この倉庫は穀物保管庫として1941(昭和16)年に建てられたもので、43年に柏原(かしわばら)村の農協職員が白壁部分をコールタールで黒く塗ったと伝わる。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)




守山空襲で機銃掃射を受けた六地蔵(滋賀県守山市)

 1945(昭和20)年7月30日午後、米軍空母ハンコックの艦載機が大津の航空基地を攻撃した後、守山に飛来して守山駅周辺や駅を出発する列車に向けて機銃掃射をあびせた。駅近くの墓地にある六地蔵には顔面や光背の一部に機銃掃射によるとみられる傷や欠損が残る。(協力・写真提供=滋賀県平和祈念館)



サイト内検索