戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(29)

2021年2月14日

東宮殿下御座所跡(兵庫県西宮市)

 日本三大厄神の一つ、門戸厄神東光寺の南門近くに立つ。甲東文化財保存会によると1911(明治44)年、当時の東宮殿下(大正天皇)が陸軍の演習を観戦するため、門戸に御座所を設置。碑は門戸小学校の校庭の一角にあったが、その後の周辺開発に伴い、現在の地に移された。


模擬原爆投下跡地碑(大阪市東住吉区)

 太平洋戦争末期、米軍が実験台として広島、長崎に先駆けて投下した「模擬原爆」の投下跡地碑。地元では毎年、7月26日に住民主催の慰霊式典が執り行われ、恒久の平和を願って投下時刻の午前9時26分に黙とうをささげている。



防空壕跡(奈良県天理市)

 柳本飛行場跡一帯には、滑走路跡や防空壕(ごう)などが残る。JR桜井線(万葉まほろば線)柳本駅近くの農地にある二つの防空壕は、土に覆われ地面から盛り上がり、古墳のように映る。出入り口部分などはコンクリートが露出し、重厚な造りが分かる。


柳本飛行場跡(奈良県天理市)

 正式名称は「大和海軍航空隊大和基地」。1944年から建設が始まり、その広さは約300万平方メートルに及んだ。現在は農地が広がり、戦闘機が並ぶ戦後間もない同飛行場の写真や、建設にあたり地元の人や朝鮮人労働者が工事に従事したことなどを記す説明板が立つ。



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