戦跡を巡る 戦渦を越えて

 戦争を体験した世代が少なくなる中、ちまたには軍関連の遺構や空襲の傷痕、犠牲者を悼む慰霊碑など、もの言わぬ戦争の証言者が現存している。しかし華々しい開発の陰で姿を消した戦争遺構も多く、運よく保存・転用されているものはごく一部にとどまる。令和の新時代を迎えてなお、人知れず戦争の戦渦と恒久平和を無言で訴える戦跡を写真で紹介する。

戦跡を巡る 戦渦を越えて(31)

2021年2月28日


浜寺俘虜収容所跡(高石市)

 日露戦争で捕虜となったロシア兵を収容した「浜寺俘虜(ふりょ)収容所」が高石市などの海岸部にあった。最大で2万8千人を収容。南海高師浜線・高師浜駅前に案内パネルがあり、「高師浜2・4丁目、千代田2・4・6丁目一帯に残る整然とした道路は、俘虜収容所の区画の名残」といわれる。


忠霊塔(泉大津市)

 太平洋戦争で命を落とした泉大津市出身者の冥福を祈り、1954年8月、春日墓地内に建立。説明板によると総工費は約667万円(当時)で、そのうち246万円は戦没者の父母や妻、兄弟姉妹ら多くの人からの寄付で賄われた。「不戦の誓い」であり「平和の塔」。


ロシア兵墓地(泉大津市)

  「浜寺俘虜収容所」に収容された後、亡くなったロシア兵が眠る。春日墓地の中に並ぶ墓石は89基。市によると地区の住民が、異国の地で亡くなった兵士のために自分たちの墓地のうち約600平方メートルを提供。戦争終結100年に当たる2005年には、兵士の遺族や関係者が訪問して式典が催された。


日露友好之像(堺市西区)

 日露友好親善と「浜寺ロシア人俘虜収容所」の歴史を後世に伝えるため2002年、浜寺公園内に建立。碑には当時の内閣総理大臣の小泉純一郎氏と、プーチン大統領の署名。捕虜が丁重に取り扱われ、地域住民との交流も盛んだったことが記されている。



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